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 「まさにこの世の地獄。悲痛な叫び声は、今も耳にこびりついている」。被爆手記集「『空白の十年』被爆者の苦闘」にそうつづったのは、18歳の時に広島駅で被爆した広島県東広島市の随行(ずいぎょう)康正さん(91)。あの日の体験と、核兵器廃絶への切なる思いを聞いた。

 寮生活を送っていた県立広島第二中学校(現・広島観音高校)5年生だった1944年から1年余り、太平洋戦争の戦況悪化にともない、学徒動員で呉海軍工廠(こうしょう、呉市)の鋼板工場で働いた。この間、米軍の空爆に何度も遭って命の危険にさらされた。

 45年に旧制広島高校(現・広島大学)に入学。その後も学徒動員先の日本製鋼所広島製作所(現・広島市安芸区)の寮に住み、高射砲の製作に従事していた。

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