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 「私はなにもしてやれんかった」。広島県安芸高田市向原町に住む河原謹吾さん(92)は戦時中、国鉄の車掌だった。原爆が投下された後、多くの被爆者を列車に乗せて広島市内と県北を行き来した。当時はどんな状況だったのか。話を聞いた。

 1926年、向原で農家の長男として生まれた。師範学校への進学を志したが、開戦後間もなく父が出征。三次中学校(現・三次高校)を卒業後の44年4月、国鉄へ就職し、休みに農業を手伝った。

 山陽線に乗務中、空襲警報のサイレンが聞こえると、列車ごとトンネル内に身を隠してやり過ごした。山越しに呉の空襲と、迎撃する高射砲の煙を目撃したこともあった。

 45年8月5日。出征を控えた…

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