【動画】蚊取り線香が出来る様子を伝えるアサヒホームグラフ。今でも広島の因島で鑑賞用除虫菊の栽培が行われている=北村哲朗撮影
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 渦巻き状の蚊取り線香を手で巻いて作っていた約80年前の映像が残っていた。当時の原料は除虫菊。瀬戸内海に浮かぶ広島県尾道市の因島や生口島が一大産地だった。戦後、化学合成の殺虫剤に取って代わられるまで、初夏の島に白くかれんな花が咲き乱れていた。(北村哲朗)

生口島で撮影

 「蚊取線香(かとりせんかう)の出来(でき)るまで」とタイトルがつけられた映像は、子ども向けニュース「アサヒホームグラフ」の一編。1940(昭和15)年ごろに旧瀬戸田町の生口島で撮影された。

 2分足らずの映像だが、作業工程がよくわかる。家族総出で収穫した花を1週間以上天日干しし、臼でついて粉に。のりに浸して型押しした後、製麺機のような機械から出てくる棒状の線香2本を、手でたぐりながら渦巻き状にしていく。乾燥させるとすき間ができ、2本をうまく分離できるのだという。

フィリピンやハワイ、南米へ30万箱

 旧瀬戸田町長を20年間務めた和気成祥さん(90)に映像を見てもらった。「除虫菊があちこちに咲き誇る風景は覚えがあるが、蚊取り線香をつくるところは初めて見た」。子どもの頃は家の前にも除虫菊畑が広がっていたが、60年代には下火になり、かんきつ栽培が主力になっていたという。

 生口島にはかつて蚊取り線香の工場があった。瀬戸田町史には、工場での生産が37年に始まり、50年代には「年産100万箱の線香メーカー(ミナギク蚊取)として全国第5位に」との記述がある。56年はフィリピンやハワイ、南米向けに30万箱、国内で70万箱を販売したという。

化学成分台頭で生産激減

 県内最大の産地は、因島だったようだ。26年の記録によると、重井村(現・因島重井町)の栽培面積は「180町」(約180ヘクタール)で、ほかの島を大きく上回っていた。因島重井文化財協会発行の「因島除虫菊の歴史」によると、やせ土の急傾斜地でも栽培でき、大正期に一気に広がった。

 旧因島市での栽培面積はピークの63年に270ヘクタールにのぼった。しかし、殺虫成分が化学的に合成されるようになって急減。10年後には10ヘクタールを割り込んだ。

因島、今も鑑賞用の畑

 因島には除虫菊畑が今も5カ所にあるが観賞用で、計0・4ヘクタールほど。広さは往時と比べるべくもないが、初夏の風物詩だ。

 「馬神の除虫菊畑」には満開となる5月上旬、アマチュア写真家や観光客が大勢訪れる。港を一望できる段々畑は、地元の大出雅彦さん(77)が父親から引き継いで世話を続けてきた。「地元の人も懐かしい風景だと喜んでくれてね。肥料を畑に運び上げるのは大変だが、やめるわけにはいかんなぁと」

 「因島除虫菊の里連絡協議会」代表を務める大出さんは、戦前の映像を見て、白いじゅうたんを敷き詰めたようだったころを振り返った。

 「収穫期になると庭先や道ばたが天日干しのムシロで埋まった。学校の校庭でも干していた」「山の上の方まで畑が広がっていた。遠くから見て、雪が白く降り積もっていると思った人もいたらしい」

 馬神の畑に近い市因島フラワーセンターは、栽培方法などを研究していた県立農業試験場除虫菊試験地があった場所だ。センターでは今年もゴールデンウィークに「除虫菊まつり」が開かれ、多くの人でにぎわった。

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