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 5月14日は74年前に米軍による空襲で名古屋城天守が焼失した日だ。名古屋は太平洋戦争中に度重なる空襲を受けたが、名古屋市名東区の東邦高校の生徒らが「名古屋空襲慰霊の日」制定を求めて運動している。市議会への請願は実らなかったが、様々な機会で世論の喚起を続けている。

 「名古屋空襲って知ってます?」

 6日、名古屋城二之丸広場で開かれた名古屋城復興祭(同市と名古屋青年会議所共催)。東邦高の生徒たちはテントを張り、親子連れらに声をかけていた。

 名東区にある平和資料館「ピースあいち」では5日まで、戦争と空襲をテーマにした東邦高美術科の作品を展示。慰霊の日の運動の発表もした。

 生徒たちが運動に取り組む理由の一つは、大先輩の戦災の歴史だ。東邦高前身の東邦商業学校の生徒ら約20人は1944年12月13日、動員先の軍需工場で空襲のため亡くなった。

 95年、工場の壁の一部が東邦高に移設され、平和の碑として毎年慰霊行事が行われている。ただ、校内で慰霊するだけでいいのかという声が上がり、2014年に生徒会が市に、市全体の空襲慰霊の日制定を要望した。

 生徒会は昨年から運動を再開。他校の生徒会など約50団体の賛同署名も集め、市議会に請願した。

 市は現在、コンクリート製の名古屋城天守の木造再建計画を進めている。だが45年5月14日の空襲で全焼した経緯は、今では市民にそれほど知られていない。「そもそも空襲のことを私もよく知らなかった。でもそれでいいんでしょうか?」。前東邦高生徒会長で、再開した運動の先頭に立ってきた3年生の道端明日美さん(17)は投げかける。

 請願は1、3月に市議会で審議された。趣旨には賛同する意見が出たが、市内への空襲は約60回あり、「特定の日を定めるのは難しい」として保留に。4月の議員の任期満了で廃案になった。

 同校生徒会の要望も当初こそ12月13日だったが、いまは特定の日を指定していない。だが「生存者の生の声を聞く機会は、いまが最後。取り組みを広げたい」と道端さんは話す。生徒会役員は代わったが、新メンバーらで世論喚起を続け、その後に市に再度働きかける考えだ。

 高校生の活動は話題になり、名古屋城のイベント参加も青年会議所から声がかかった。今後も6月に名古屋市立大のゼミや市内の私学の高校の集いで発表するほか、44年の空襲経験者の先輩に取材し、冊子や映像記録を残すべく準備中だ。(編集委員・伊藤智章)