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 西日本豪雨で大きな被害を受けた広島県坂町(さかちょう)小屋浦地区。その山すそにある原爆慰霊碑が高台に移されることになり、月内にも工事が始まる。原爆投下直後に搬送され、亡くなった被爆者が埋葬された場所だが、豪雨で裏山が崩れたためだ。「安全な場所で守っていきたい」。住民たちは、こう願っている。

 JR呉線の線路脇の山すそに、93人の名前を刻んだ高さ2・3メートルほどの原爆慰霊碑が立つ。土砂崩れに備え、今も大きな土囊(どのう)が周囲に山積みだ。13日、ここで最後となる供養祭が開かれ、約30人が集まった。

 爆心地から10キロ以上離れた小屋浦地区には原爆投下後、軍の臨時救護所ができ、広島市内から負傷者たちが次々と船で搬送された。息絶えた人々は埋葬され、地元住民たちは木の墓標を建てた。広島原爆戦災誌によると、1952年に現場から、約150体の遺骨が発掘されたという。

 供養祭に参列した広島市安佐北区の阿部愛子さん(88)は昨年、地元紙の報道で慰霊碑の存在を知った。父の山根作市さんは広島市の中心部で被爆し、小屋浦に運ばれたが1カ月足らずで亡くなった。42歳。碑には「作一」と刻まれているが父と確信した。「これまで大切にしてもらって感無量です」と、ハンカチで目頭を押さえた。

 地域で守られてきた原爆犠牲者の慰霊碑は、広島市中心部だけでなく各地にある。小屋浦地区の被爆者らが守り、法要を続けてきた木の墓標を「半永久的な墓碑」とするため、87年に慰霊碑が建立された。しかし年々維持管理は困難に。被爆者の高齢化も進み、「坂町原爆被害者の会」は昨年5月、解散を決めた。

 小屋浦地区を豪雨が襲ったのはそんな時だ。地区では関連死を含めて16人が犠牲になり、1人が行方不明に。慰霊碑は、崩れた裏山の土砂に覆われた。

 「このままでは原爆の記憶も埋もれてしまう。なんとか慰霊碑を守りたい」。母親の胎内で被爆した西谷敏樹さん(73)は、最も若い被爆者として次世代に語り継ぐ責任を感じた。

 碑の建立に尽力した地元業者が…

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