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 200年余り前の江戸時代、大津市北部の丘で謎の化石が見つかった。藩主に献上されて「竜の骨」と判定。発見した百姓に「龍(りょう)」の姓が与えられた。化石は後に「象の骨」と判明したが、当時の化石発見にまつわる絵画や文書は子孫が大切に保管してきた。大津市は15日、その歴史資料を文化財に指定した。

 指定したのは、江戸時代から昭和までの絵画3点と文書28点の「文化元年南庄村(みなみしょうむら)出土龍骨(りゅうこつ)関係資料」。

 化石発見の経緯は――。

 1804(文化元)年、膳所藩領だった伊香立(いかだち)南庄村(現在の大津市北部)で、丘を開墾していた百姓の市郎兵衛が「未知の化石」を発見した。自宅に持ち帰って軒下に置いていたところ、見たこともない形などが話題になった。

 藩主の本多康完(やすさだ)も知るところとなり、献上されて儒学者らが観察した結果、龍骨(竜の骨)と判定された。当時は科学が発達しておらず、誰もが竜と信じたそうだ。市郎兵衛には「龍」の姓が与えられ、発見場所には「伏龍祠(ふくりゅうし)」という祠(ほこら)が建てられた。

 関係資料のうちの「龍骨図」は、康完から依頼された円山派の絵師が化石の絵を描き、上部には儒学者が発見の経緯を記した。「伏龍骨之図」は藩が別の絵師に描かせた。「膳所藩達書(たっしがき)」は、藩が市郎兵衛に伏龍祠周辺の耕地を与えることを記した文書だ。

 竜の骨とされた化石は、現在は50万年ほど前の象の骨と分かっている。明治時代、象の化石の研究で知られるドイツ人地質学者ナウマンらが解明したからだ。東京に運ばれて、国立科学博物館に保管されている。

 その一方で、化石を描いた絵画や文書は、市郎兵衛の子孫に家宝として伝わった。龍の姓を受け継いだ龍郁子さん(78)によると、ふだんは蔵で保管しているが、旧暦の11月に発見されたことにちなんで、毎年12月~正月は床の間に飾っていたという。

 ただ高齢になったこともあって、数年前に市歴史博物館に預けた。今回の文化財指定について「家だけの宝ではないと思いました。200年間、代々守ってきたものが思いもかけずに文化財になって大変喜んでいます」と笑顔を浮かべた。

 市教育委員会は、関係資料につ…

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