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 日本高野連と朝日新聞社が高校野球の発展に貢献した人に贈る「育成功労賞」に、府内から府立東住吉高校(大阪市平野区)教諭の河野(こおの)仁さん(61)が選ばれた。34年にわたり、府立高校4校の監督、責任教師を歴任。野球部創設や、野球を通した生徒育成に携わった。

 河野さんは1973年に大鉄高校(現・阪南大高校)に入学し、野球部に入部した。大鉄高校は71年、春の甲子園で準優勝。77年は夏の甲子園で4強入りした。河野さんも朝から暗くなるまで厳しい練習に耐えた。

 当時の監督は教員ではなく、野球を専門に教える監督だった。高校野球の指導者に憧れていた河野さんは「野球でしか生徒を見られないのは寂しい。学校生活でも生徒と関わりたい」と教師を志した。

 高校卒業後、大阪体育大学に進学。84年、前年できたばかりの大塚高校に赴任し、野球同好会の2年生12人と野球部を立ち上げた。初めはグラウンドも道具もなく、新聞紙を丸めてボール代わりにした。市営グラウンドでノックをし、近くのバッティングセンターに週1回通った。グラウンドができた後も、サッカー部や陸上部と融通しあいながら練習した。91年の大阪大会では4回戦まで勝ち進んだ。

 98年に赴任した北淀高校では、部員不足で秋の大会を辞退したこともあった。夏の大会には10人で臨んだ。大人を信用しない生徒たちとも真剣に向き合った。日曜も生徒たちと学校周辺を掃除し、校内でも次第に応援してくれる人が増えていった。2005年の春季近畿地区大会府予選は13人の選手で臨み、5回戦まで勝ち進んだ。

 その後、住吉高校や貝塚高校に赴任し、18年3月に定年退職。現在は再任用で東住吉高校で体育を教えるほか、顧問として野球部を指導する。

 東住吉高校には大塚高校で指導した生徒の子どもやおいっ子もいる。北淀高校時代のマネジャーの父は、転勤しても試合を見に来てくれた。「野球が縁をつないでくれた。教え子が地域で少年野球を指導したり、自分の子に野球を教えたり。それぞれ野球にかかわり続け、その裾野を広げてくれている話を聞くと、うれしいですね」と笑った。(森岡みづほ)