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 昨年、「手話は言語」と明記された富山県手話言語条例が制定された。だが、かつて聴覚障害者たちにとって、「手話は言語」とは言えない時代があった。県内の聴覚障害者や関係者を取材して、手話を巡る歴史をたどった。

学校での使用、禁じた時代

 聴覚に障害のある幼稚部から高等部までの18人と、知的障害のある高校生が学ぶ高岡聴覚総合支援学校(富山県高岡市西藤平蔵)。中学部の教室をのぞくと、生徒たちが手話で楽しそうに会話をしていた。幼稚部の教室では、3人の子どもたちが口の動きと聞き取れる音を頼りにしりとりをしていた。

 同校の児童や生徒らの聞き取れる音の程度は様々だ。デジタル補聴器や人工内耳など、聴覚をサポートする技術の発達もあり、同校に通う児童や生徒らの数は以前より減ったという。

 指の形で50音を示す「指文字」や口の動きを読む「口話」、そして手話。一人ひとりにあったコミュニケーションの取り方で言葉の習得や会話に励む。

 「手話は命です」

 いくつものコミュニケーションの方法がある中で、県聴覚障害者協会理事長の石倉義則さん(66)はそう話す。

 1952年、富山市で生まれた石倉さん。小学校入学を控えた冬に高熱が出て、聴力を失った。両親は小学校に通えないと考え、石倉さんは小学校には通わず、1年間、家で過ごした。両親が県立聾(ろう)学校(現富山聴覚総合支援学校)の存在を知り、1年遅れで入学した。

 学校では、教師の口の動きを読み取る「口話」教育が行われていた。口の動きを読み取り、健聴者と同じように発話をする訓練が中心。口話の訓練に多くの時間がかけられたため、勉強の進度は3年遅れだったという。

 学校で手話は禁止。当時、石倉…

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