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 障害者らに強制不妊手術を認めた旧優生保護法の違憲性を問う訴訟で、全国初の判決が28日、仙台地裁で言い渡される。全国で2番目に手術が多かった宮城県では、どう手術が進められたのか。手術規定の廃止で問題は収束したのか。判決を前に、当時の記憶や当事者たちの思いを聞いた。

 仙台市青葉区に1960年に設立された知的障害者施設「小松島学園」。28日に判決を控える70代の女性原告は、学園の1期生だった。1年後に卒業したが、その後住み込みの就職先の「職親」に連れられて、不妊手術を強いられた。

 「この子は一番柔道が強かった。こいつは器用で悪さもしたが、ちゃんと自転車屋に就職してね」。元職員の三宅光一さん(82)は、自ら撮りためたアルバムをめくりながら目を細めた。開所から数年間、男子棟の指導員として勤めた。盗みやいじめを理由に、障害がないのに入所させられた子もいたという。

 三宅さんはある日、女子生徒から、別の生徒の一人が病院に連れて行かれ、子どもができなくなったと教えられた。間もなく、今度はその女子生徒が部屋にこもって泣いていた。手術されたのだと悟った。

 声をかけると、「何が聞きたい…

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