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 戦後まもなくから生活綴方(つづりかた)と呼ばれる作文教育に取り組んだ元小学校教師の野名龍二(のなりゅうじ)さん=堺市=が昨年6月、89歳で亡くなった。一人ひとりの生活と思いがつづられた文集は、受け持った学級の教え子や後輩教員たちの心を、いまもなお、つなぎ続けている。

 「いつの同窓会でも 必ずこの文集の作品が話の中心。離れて暮らしていても 心には『みどりの電車』が」「運転手は毎号記載されていた作文の作者。乗客はクラスメート。そして車掌は先生だった気がするよ」

 昨秋に編まれた追悼文集で、何人かの教え子が「みどりの電車」に触れた。野名さんが受け持ち、1973年に卒業した、堺市立浜寺小学校6年4組の学級文集のことだ。

 野名さんは28年に現在の三重県志摩市に生まれ、51年に大阪で小学校教師になった。53年に赴任した福泉町(現・堺市)立福泉小学校大庭寺分校では宿直室に寝泊まりし、部屋には朝から子どもらが出入りした。自然に囲まれた村の生活を作文につづらせたのが、文集作りの始まりだった。

 赴任したどの学校でも、子どもが自ら題材を選び、自らの表現で書くことを尊んだ。拙(つたな)くとも決して手は入れなかった。著書「綴方教育論」ではこう書いた。

 子どもは、知りたがりやのしたがり屋である。人や物とつながろうとする。時には一本の釘にすら愛情を寄せる。(略)一年生から集め始めて、四年生の終わりには、五千個もビールびんの蓋(ふた)を集めたという。そんな子どももいるものである。それを禁止してはならないのである。

 ガリ版刷りのわら半紙でできた「みどりの電車」の1冊に、下久保義光さん(58)が書いたこんな作文がある。

 「   欠席一名

 ぼくは六年になってから、欠席…

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