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 1989年6月に北京で起きた天安門事件から4日で30年が過ぎた。当時、約50日続いた民主化運動の様子を連日撮影していた学生がいた。その数、約2千枚。30年後の今年、初めてその写真を公開した。当局の没収を逃れて保管したまま、自らも存在を忘れかけていたという。思い出したのは、娘との会話がきっかけだった。

 撮影していたのは、3年前に家族で米国に移住した劉建さん(50)。当時、北京の大学生として自らも運動に参加した。中国でも庶民にカメラが普及し始めた時期。ニコンのコンパクトカメラを持っていたことから、軽い気持ちで「記録しよう」と撮影を始めた。

 胡耀邦前総書記が死去し、追悼デモが始まった4月16日から、軍が運動を鎮圧した6月4日まで、劉さんは現場でほぼ毎日撮影。大半は安いモノクロフィルムを使ったが、一部は高価なカラーフィルムでも撮影した。

 同じ学生の立場で撮影したためか、写っている人たちも明るく自然な表情が多い。自由や民主、反特権、報道の自由などを訴える横断幕を掲げてデモ行進する姿や、政府との対話を求めてハンガーストライキをする姿をとらえている。

 5月末、天安門広場に学生が建てた「民主の女神像」を、足場の上から撮影した写真は「他にはあまりない貴重なアングル」と話す。だが、軍が運動を鎮圧した6月4日、病院に運ばれた遺体を数枚撮影した後、つらくなって撮るのをやめた。

 事件後、当局は各家庭を訪ねてフィルムや写真を回収していった。街の写真店にフィルムを現像に出した人は、そのまま没収されたという。デザイン系の学生だった劉さんは、自分で現像できる暗室を使えたため、没収を逃れた。1、2年後、ひそかに現像した。

 卒業後、商業写真の撮影会社を経営した劉さん。現像したネガは、6、7個の箱に入れて保管し、そのまま忘れていた。経済発展に力を注ぐ国の歩みに合わせて政治には関わらず、金を稼ぎ、家を買い、子どもを育ててきた。発展し、強くなった中国。「あのときの政府の対応は正しかったんだ」と思っていた。

 だが、渡米後、国内では見られなかった様々な報道や資料に接し、当時の学生運動を「反革命暴乱」とした共産党や政府の評価に疑問を持つようになった。

 昨年末、自宅で高校生の娘(18)と何げなく話をしていた。「来年は2019年だな。中国は9のつく年に重要なことがあるんだ。(建国の)1949年、89年の六四(6月4日の天安門事件)……」

 「6月4日って何かの記念日だっけ?」

 「天安門広場で民主化運動が起きて、人民解放軍が学生たちを殺したんだよ」

 「あり得ない!」

 若い世代にとって、「六四」はただの日付でしかなかった。その時、ふいに自分が撮った写真のことを思い出した。

 「自分は事件の真相を記録した『証明書』を持っているじゃないか」

 中国の人権問題に取り組む在米の非営利組織「人道中国」に相談したところ、「貴重な記録だ」とアドバイスを受けて写真を託すことにし、その一部をメディアに提供した。今後、「人道中国」が写真を整理し、改めて公開する予定だ。

 劉さんは「当時の学生たちは国を愛し、自由や民主主義、改革を求めて運動していた。それを軍隊が銃で鎮圧した。事件を知らない多くの若者たちに、そんな歴史があったことをきちんと知ってほしい」と話す。(北京=延与光貞)