香取慎吾「ぼくはドーム公演のとき…」 一流選手に共感
香取慎吾とゆくパラロード
朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。6回目は、日本人初のパラリンピック金メダリストを生んだパラ卓球です。香取さんは障害がある選手の感覚を疑似体験できる特殊な卓球台を使って、世界ランク14位の茶田ゆきみ選手(31)と対戦。車いす選手の“世界”を体感しました。
紙面でも
香取慎吾さんのパラ卓球体験は、6月21日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。
《あっ、長い。コートの片側が長い!》
アリーナに置かれた1台の卓球台。香取さんはネットの横から左右のコートをまじまじと見つめて、普通の台との違いを見つけた。
車いすのクラスで世界ランク14位の茶田選手は、うれしそうにうなずいた。
《片方のコートが普通のコートより40センチほど長いんです。私たちが感じる奥行きの深さを形にしたのが、この卓球台なんです。》
日本肢体不自由者卓球協会が発案した「変形卓球台」だ。ほかにもコートの片方が台形や円形の台もある。それぞれ足に障害のある選手、両腕が短い選手の感覚を形で表した。
《車いすで競技を体験して「大変だ」と言う人も、この台で立ったままやると「おもしろい」「すごい」って。障害をポジティブに感じてもらえるんです。》
ネットまでの距離が長い側に立った香取さん。正面に来た球はきれいに打ち返したが、ネット際の球や浅いクロスボールに苦戦した。
《車いすで卓球をするということはこういうことなのか。ネット際の球は手が届きにくく、左右にも回り込みづらい。選手の皆さんもそこを攻めるの?》
茶田選手は答えた。
《障害による弱点を互いに突き合うのがパラ卓球。ひきょうではなく、リスペクトなんです。弱点を突かせないためにどうするかも勝負のうちです。》
5点マッチに挑んだ香取さんは、茶田選手の打ちづらい高い球やクロスボールも放ったが、最後は強烈なスマッシュを決められ、4―6で敗れた。それでも、にこやかだった。
SMAPのドーム公演
《選手と同じ景色を見られるのはすごくいい。弱い部分を知り、競技の見方も知れた。これはおもしろい。》
茶田選手は9歳のときに原因不明の病気で車いす生活に。当初は障害を受け入れられなかったという。
《すごく狭い、暗い世界で生きるんだと考えていました。中学でパラ卓球を見た先輩が卓球部に誘ってくれて、一気に世界が広がったんです。》
香取さんが言った。
《光が見えたんだ。》
そして続けた。
《ぼくは10歳のときに東京ドームの最前列でマイケル・ジャクソンのコンサートを見た。ダンスや歌すべてを見て、こうなりたいと思った。そして、SMAPとして初めてドームにたどり着いたとき、ステージに手をついて言ったんです。「マイケル、ここまで来たよ」って。茶田さんも導かれたんだね。》
東京パラリンピックの開催が決まり、茶田選手の競技への意欲は高まった。しかし、出場には国際試合に出て世界ランキングを上げなければならない。資金不足から一時はあきらめたが、一念発起してスポンサーを見つけた。
《卓球はテーブルさえあれば、どこでも、誰でもできる。活躍を通して、障害を負っても人生の選択肢にスポーツがあることをみんなに知ってもらいたい。》
茶田さんの言葉に香取さんも思いを寄せた。
《応援し続けますよ。たくさんの選手がTOKYOで輝いて、これからパラスポーツをしようという子どもたちに光が差してほしいよね。》
◇
茶田 ゆきみ(ちゃだ・ゆきみ) 1988年生まれ、静岡県出身。バスケットボールをしていたが、小学4年の時に原因不明の病気に。中学1年でパラ卓球を始め、3年のとき、全国障害者スポーツ大会で優勝。2019年ポーランドオープンでシングルス3位。スヴェンソン所属。
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