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 平戸島(長崎県平戸市)の北端近く。九州本土との間の瀬戸の出入り口にある田助(たすけ)港の旧家が、幕末維新の英傑たちの会談の場だったらしいと、近年注目されている。田助港は江戸期、長崎から京阪方面への海運の中継地。旧家の当主は「同盟を結んだ薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎(のちの木戸孝允)が混迷の政局を語り合ったはずだ」と話している。

 旧家は、平戸市田助町の永山邸。当主の永山二雄(つぎお)さん(71)によると、江戸期は回船問屋「明石屋」だった。5代前の祖先、満寿(ます)さん(1910年死去、享年83)が、ひ孫のマツさん(1971年死去、享年86)に語った話を、その孫にあたる永山さんは、子どもの頃から聞いていた。

 それによると、西郷や桂たちは、表通りに面した明石屋の2階の座敷で会談を重ねた。10畳と8畳の2間続き。満寿さんは客の素性を知られないよう料理は使用人に任せず、自分で上げ下げしたという。満寿さんが30代後半の頃だ。

 海に面した2階の6畳2間つづきの客間は、西郷の寝泊まり部屋と伝わる。1階の廊下にある扉は一見便所のようだが、開けると2階の客間に上がる階段が現れる。以前は客間の押し入れを開けると、隠し通路が備わっていて奥の物置につながっていたという。永山さんは「敵の不意の侵入に配慮した造り」と語る。

 満寿さんは維新後、会談の主たちの素性を周囲に明かしたこともあったらしい。

 だが、明治10年代生まれのマ…

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