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高校野球育成功労賞 和泉利典さん(59)

 母校の倉敷工を率いて2度、夏の甲子園へ。選手の奮起を促す綿密な指導の背景には、球児時代の痛恨のミスがあった。高校野球の育成と発展に尽力した指導者に贈られる「育成功労賞」を受けた。だが、「自分はまだまだ」。水島工の監督として、今夏に闘志を燃やす。

 「子どもたちに自分のような経験をさせてはならない」。そんな思いが30年近い指導者生活を貫く。

 44年前、倉敷工1年生の秋、県大会初戦の芳泉戦に一塁手として出場した。優勝候補といわれ、チームは翌春の選抜大会を見据えていた。0―0で迎えた四回2死二、三塁のピンチ。完全に打ち取った打球が、フライとなってマウンド近くに上がった。

 「よし、チェンジだ」。味方の誰もが一塁へのフライと思った。だが自分は定位置より後ろにいたため、捕手が取るだろうと思ってしまった。ポトリと落ちた打球で、2人の走者が生還。いったん逆転はしたが、延長十一回の末、結局敗れた。

 「お前のミスがなかったら」。先輩らからは容赦ない言葉が飛んだ。「自分のせいで負けた」という思いは消えなかった。誰からも認められる選手になろう――。人より努力を重ねる覚悟は、この経験を機に固まった。

 法政大で野球を続け、卒業後の1982年、「恩返しがしたい」と母校のコーチに。時に自らの経験も語り、日頃から全力で練習することの意味を教え続けた。

 監督となっていた96年夏。第78回岡山大会を制し、やっと甲子園にたどり着いた。足を踏み入れた瞬間、自分と関わった先輩や教え子らの顔が頭に浮かび、彼らの努力がこの場に集約されているような気がして、胸に迫った。「甲子園への道は、小さな努力の積み重ねの先にしかない」。鹿児島実に敗れたが、16強に残った。

 2度目の甲子園は2003年夏の第85回。初戦の相手は、翌年から夏の甲子園を連覇することになる駒大苫小牧(南北海道)だった。序盤から失点を重ね、0―8となった4回途中、降雨ノーゲームに。宿舎では、選手たちを前に「もう一度戦える幸せを感じて試合をしよう」と呼びかけ、気分を変えさせた。

 翌日の再試合、見違えるような動きを見せたチームは5―2で勝利。甲子園が生んだドラマとして今も語り継がれ、倉敷工は再び16強に入った。

 高校野球の指導者となった教え子も多い。「私の財産でもあり、ライバルでもある。負けたくない」。この夏にかける思いは強い。(華野優気)

     ◇

 いずみ・としのり 1960年生まれ。倉敷工3年では主将で一番中堅手。岡山大会で8強。母校の監督として第78回と第85回、夏の選手権大会で16強に導く。2010年から東岡山工、16年から水島工で監督などとして指導。工業科の実習を担当している。