「夏休みか甲子園…どっちがいい?」 楽天・福山投手

聞き手・浪間新太
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 第101回全国高校野球選手権島根大会が開幕する。大東高校(雲南市)で内野手として甲子園を目指し、大学を経て、現在、プロ野球・楽天で投手として活躍する福山博之さん(30)に、高校野球の思い出や甲子園への思い、そして島根の高校球児たちへのメッセージを聞いた。

 ――野球に打ち込むきっかけは何でしたか

 小学2年生の時、地元雲南市の少年野球チームで始めました。試合に勝ったときに保護者たちが開く打ち上げに参加するのが楽しかった。それが野球に打ち込んでいくきっかけになりました。大東高校に進学したのは家に近かったから。中学まで一緒に野球をしてきた仲間が多く進学したのも理由です。

 ――高校時代、最も印象に残っているのはどの試合ですか

 高校2年生の夏の島根大会(第87回全国高校野球選手権島根大会)で、開星高校に負けた試合(2回戦、大東3―13開星)です。二塁手として試合に出た。その年は3年生にエースと4番打者がいて、投打の柱がしっかりしていた。本気で「甲子園にいける」と。また、レギュラーは自分たち2年生が中心で、試合に出られない3年生が多く、「先輩たちと絶対に甲子園にいきたい」と思っていました。

 でも、大会直前にエースの先輩がひじをけがして、本調子とはかけ離れていた。本気で甲子園を目指せるチームだったからこそ、開星高校に負けて、先輩たちと甲子園に行けない悔しさはすごく印象に残っています。当時、甲子園は手の届くところにあると思っていましたが、今考えると、遠い、憧れの存在でした。

 ――高校の野球部で印象に残っているエピソードはありますか

 たくさんあります。たとえば、当時野球部は「親の送り迎え禁止」。自分は自転車通学で、家が高校から7、8キロくらいの山の上にあったので、行き15分、帰り40分。毎日練習で疲れて自転車で坂を上りながら「なぜ送り迎えだめなんだ」と思っていました。今でも年に一回、3年間一緒に頑張った同期で集まり、お酒を飲む機会があるんですが、そういう、当時は理不尽に思えたような体験が、今では笑いながら語り合える良い思い出になっています。

 ――大阪商業大学に進学しました。プロ野球選手を意識したのはいつですか。

 大学4年の春です。同期が続々とスーツを着て就職活動を始めたのを見て、「スーツ着るのめんどくさいし、就活したくないな」と思った。それで「野球選手として生きていきたい」と真剣に考えました。ドラフトで指名されたときは「就職活動しなくて良かった」って思いましたね(笑い)

 ――島根大会を迎える高校球児に伝えたいことは何でしょうか

 3年生には、「負けたら夏休み、勝ったら甲子園。さあ、どっちがいい?」って感じですかね(笑い)。1、2年生には、「優勝して甲子園に行けたら、夏の厳しい練習が少なくなるぞ!」と声をかけたいですね(笑い)。

 本気で甲子園を目指しながらも、それくらいの気持ちで気張らずに大会に臨んでくれたら良いのかなと思っています。良い夏を過ごしてください。(聞き手・浪間新太)

     ◇

 ふくやま・ひろゆき 1989年雲南市生まれ。右投げ右打ちの投手。小学2年生で地元の少年野球チームで野球を始める。大東高校では二塁手として活躍し、2年秋の県大会3位で中国大会に出場。大阪商業大で投手に転向し、2010年にドラフト6位で横浜に入団。13年に楽天に移籍し、14年にはオールスターゲームに出場した。172センチ、70キロ。

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