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ロスジェネはいま

 パソコンの基本ソフト「ウィンドウズ95」の日本語版が発売されたのは1995年秋だった。パソコンが身近な存在になり、2000年には「IT革命」が新語・流行語大賞に選ばれる――。ロスジェネ世代が社会に出たのは、そんな時期である。

 ただし、氷河期と呼ばれた就職難。望むと望まざるとにかかわらず「脱レール世代」「転職世代」のロスジェネは、パソコン、ネット、スマホを手にした「起業世代」でもある。

 内山達雄さん(42)は95年、横浜市の関東学院大工学部(当時)に進学した。親に頼らず、コンビニや宅配などのバイトを掛け持ちして学費や生活費をまかなったが、学業の時間が削られて単位が取れず、2年後に退学した。奨学金の負債200万円が残った。

 リクルートワークス研究所によると、この年、97年の春の大学生の求人倍率は1.45倍だった。だが、日本経済は、山一証券の経営破綻(はたん)をはじめとする金融危機に見舞われ、3年後には求人倍率が1倍を切る。

 内山さんは、退学して横浜市の建設会社でとび職として働き始めた。契約社員のような立場だった。

 「夢があって入学したわけじゃなかった。だけど、普通に大学行き、大手企業で出世していくのが良しとされた時代。正直、敷かれたレールから落っこちる怖さがあった」

 建設現場で仮設の足場を組む仕事だった。仲間たちは、長さ7メートル、重さ20キロの鉄パイプを4、5本担いでも平気な顔をしていた。はじめは1本担ぐだけでふらついたが、後輩への指導も含めて熱心な仕事ぶりが認められ、20代半ばで正社員になった。任されたのはハウスメーカーなどから工事を受注し、そこで働く職人を手配する仕事だった。

 建設業界には忙しさの波があり、年末や年度末は職人さんが足りなくなり、あちこち連絡して確保したという。一方で、あとになって「うちはヒマだったんだけど、声がかからなかった」と話す人たちも出てくることがよくあった。「口コミ頼みの業界で、情報が十分に共有できていない」。そう感じたことが後に生きることになる。

 就職氷河期のロスジェネ世代だが、正社員で年収は700万円近くになった。それでも、仕事は厳しくなっていった。08年のリーマン・ショックや、建築確認の審査手続きを厳しくした建築基準法の改正で、住宅の着工数にブレーキがかかると、工事の受注単価も10年前と比べて半分ほどになったという。30代になったころだ。

 ある日、雑誌の特集が目にとまった。個人が設けたインターネット上のサイトなどに広告を載せ、サイトを訪れた人が、その広告を入り口にして商品やサービスを購入すると成功報酬が得られる「アフィリエイト」に関するものだった。

 「何だこれは」。試しに、お金にまつわる情報サイトを作った。翌日、20円の広告収入が振り込まれた。「とび職と違い、一度サイトを作れば寝ていてもお金がもらえる。こんな稼ぎ方があるのか」。衝撃だった。

就職氷河期に社会に出た世代に、「ロストジェネレーション」と名付けたのは、朝日新聞です。40歳前後となったロスジェネは今も不安定雇用や孤立に向き合っています。生き方を模索する姿を伝え、ともに未来を考えます。

 平日も未明までパソコンに向か…

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