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 「ぼくは患者さんにこんなことを口にしたことはないのですが、ひとつだけ譲ってくれませんか」。八十二歳の女性の患者さんに、ぼくはきっぱりと少し大きな声で言った。

 久しぶりの訪問に、患者さんは相変わらずベッドで寝たままだった。訪問を始めて五年。股関節の手術後に不自由さが残り、移動は二本の杖を使い、食事は立ったままで済ませる。トイレには自分で行くが、それだけの毎日で決して座ろうとしない。促せば座れるのだが、ベッドで横になったままの毎日が続く。こうと思ったら、少しのことでも変更しない。先日は食事のあとに失神して、夫がベッドまで移動させるのに大変だったらしい。「それは重いこと重いこと、こっちが病気になりそうだった」と、夫が嘆いた。

 「座ろう、車椅子に座れたらどこへでも行けるから」と、ぼくは繰り返し勧めてきた。「やってみます」と、その時はいい感じなのだが、何も変わらない。去年の秋には親しい整形外科医と訪問して、痛がる股関節に局所注射もしてもらったが、効果はなかった。

 さすがに介護する夫が疲れてきた。ケアマネジャーからも焦って連絡があった。この日はケアマネジャーが同行する予定だったが、急用でぼくひとりになった。「このままでは転びそうで心配です。今までも言ってきましたが、車椅子を室内で使いましょう。そのためにはベッドで座る練習をしましょう」と、ぼくが言う。「腰が痛いのなんのと言わずに、やらんといかん」と、夫の言葉が続いた。

 そこで、ぼくの冒頭の言葉となった。夫をはじめかかわる人たちは、患者さんの気持ちを尊重してきた。立ったままの失神や、移動に時間がますますかかるようになり、夫の負担が限界に来ていた。

 「訪問看護師さんに週二回来てもらって、ベッドの脇に足を垂らして、手すりを持って座る練習をしよう。それができたら小さな車椅子を借りよう。ケアマネジャーさんに連絡しておくよ」と、ぼくは具体的な提案をした。今の切羽詰まった状態を考えると、何かを変えないと事故が起こるか、夫の心が折れるかだと思った。

 気持ちを込めて、危機感を持って患者さんにぼくの気持ちを伝えた。話は一時間になった。玄関を出る時、夫とぼくは明るくあいさつをした。「ここまで言っても変わらないかも」の夫の言葉に、同じ気持ちのぼくは苦笑いを返した。

 「ひとつ譲ったらどうか」は、ぼくが四万十へ移るのを迷った時の、恩師からのひと言だった。思い通りに生きてきたのだから、妻の父が病気の今、四万十の診療所の継承をとの説得の言葉だった。

 「ひとつ譲ること」からぼくの四万十が始まったのだ。そんなことを帰りの往診車でぼんやり思い出していた。

 

<アピタル:診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。