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 世界から3万人の医療関係者が集まる米国臨床腫瘍(しゅよう)学会の学術総会がつい最近開かれました。世界を代表するがん学会の一つで、「ASCO(アスコ)」と呼ばれています。5日間にわたって総会に参加し、日本と米国の医療を取り巻く状況の違いを深く実感しました。内容を報告します。

 「ASCO」は「American Society of Clinical Oncology」の略。毎年6月第1週に学術総会が開催されます。今年は第55回。5月31日から6月4日までシカゴで開かれました。

 参加者数は約3万2千人。アメリカを中心に、アジア(最近では中国が多いです)や欧州、南米や中近東から、がん医療関係者が集い、臨床試験の最新の成果について発表や議論が行われます。患者も200~300人参加をしており、皆でこれからのがん医療の向かうべき方向性を確かめ合う場でもあります。

 発表される演題数は約2400あり、会期の5日間、朝8時から夕方6時まで、30カ所以上の大小さまざまな部屋で発表されます。数が多いので、聞きたい演題が同じ時間帯に重複してしまうこともしばしば起こります。

 以前の総会では、重複した演題の聴講を諦めざるを得ませんでしたが、最近はウェブサイトでも閲覧できるので、後から演題の確認もできるようになりました。とても便利ではありますが、帰国してからも、しばらくチェック作業でバタバタとした生活が続きます。

治療の科学的根拠を発表

 今年の学術総会のテーマは「Caring for Every Patient,Learning From Every Patient(すべての患者をケアし、すべての患者から学ぶ)」。昨年の大会のテーマが、患者一人ひとりの生活の質(QOL)を考えて治療を最適化していくことなどを目指した「Less is More(治療の最適化)」でしたので、「少し趣が変わったな」という印象でした。

 ASCOが掲げている目標の一つに、「治療のガイドラインを変えるような新たな科学的根拠(エビデンス)づくり」があります。そのため学術総会では、患者の治療成績や生活の質を大きく改善させるような画期的な治療方法の発表が行われます。

 例えば、昨年、本庶佑氏らがノーベル賞を受賞して話題となった免疫チェックポイント阻害薬。2015年の総会に参加した際、効果を示す臨床試験の結果が初めて発表されたときなどは、会場全体がスタンディングオベーションに包まれ、本当に感動しました。良い結果でも悪い結果でも、エビデンスを発表することがASCOの役割なのです。

 そういった視点で全体プログラムの内容を見渡したり、前評判を聞くと、今年は「これはすごい」というような大注目の演題があるようには思えませんでした。また、「すべての患者をケアし、すべての患者から学ぶ」という大会テーマには、正直にいうと、「それは当たり前のことでしょう」と思っていました。

 ところが、3日目の優秀演題(プレナリー・セッション)の1題目の発表を聞いたあと、だれでも公的医療保険で医療が受けられる日本ではおおよそ「当たり前」なことが、今のアメリカの医療では、「当たり前になっていない」ということが分かりました。改めて、この大会テーマに込められた言葉の意味をかみしめることになりました。

医療政策に関する演題も

 学術総会3日目に発表されるプレナリー・セッションは、その年に応募された全ての演題の中から厳選されたものです。今年は、いわゆる「オバマケア」と呼ばれる医療政策に関する演題、転移性の前立腺がん治療に関する演題、進行性のサルコーマ(軟部肉腫)に関する演題、そして、家族性の遺伝子変異を有する膵臓(すいぞう)がんの治療に関する演題の四つが選ばれました。

 このうち一つ目の演題は、オバマ政権時代に行われた医療保険制度改革、通称「オバマケア」と呼ばれる医療費負担適正化法(Affordable Care Act)を検証したものです。

 米国には、日本のような国民皆保険制度はありませんから、医療を受けるためには民間保険に加入していることが大切になります。ところが、保険料が高額なことから、国民の約15%(約4900万人)は保険に加入していないと推測されています(アメリカ商務省による2011年の調査)。そのため、経済的な理由で治療を諦めたり、その逆に治療を受けるために破産をしたりする人がいることが課題となっていました。

 オバマケアは、国が主導で、無保険者に対して保険加入を義務付けたり、手ごろな価格の保険加入ができるようにしたりするものです。既往症があっても保険加入ができるといった仕組みもあります。なお、州によっては、この改革を拒否している州もあり、全ての州で適応されているものではありません。

 この発表は、再発の診断から最初の治療開始までの待機時間を短縮させることが治療成績の向上には重要だという既存の研究結果をもとに、白人と、アフリカン・アメリカンの二つの人種間での現状の待機期間の差を3万4067人の電子カルテ・データを使って解析比較したものです。その結果、オバマケアを実行することで、この人種間で生じていた治療の待機期間の差をほぼ無くすことができるというものでした。オバマケアは今大会のテーマの実現に近い政策だったことを改めて裏付けました。

 演題発表の振り返りでは、人種間で待機期間の差が生じている米国の現状を「医療政策の間違いだった」と断定し、会場に医療界の意義を問いかけました。

 「Caring for Every Patient,Learning From Every Patient(すべての患者をケアし、すべての患者から学ぶ)」

 学術総会テーマの意味が、参加者に「ドン」と突き付けられた素晴らしい演題だったと同時に、これだけのデータを集めて政策検証ができること、それができる人材がいること、また、政策に対して学会が数字で提言を示すという力強さに、本当に感動をしました。

 米国とは状況が異なりますが、日本では国民皆保険制度の持続性を維持するための様々な課題が見えています。社会保障費の増大、年金問題、少子高齢化、税の負担と再分配の在り方など……。この医療関係者で構成する学会の優秀演題で政策を評価するようなやり方で、私たちは自分たちの問題を検証することができるのでしょうか?

 とても考えさせられ、そして、素晴らしい学術総会だったと思いました。

<アピタル:がん、そして働く>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/cancer/

(アピタル・桜井なおみ)

アピタル・桜井なおみ

アピタル・桜井なおみ(さくらい・なおみ) 一般社団法人CSRプロジェクト代表理事

東京生まれ。大学で都市計画を学んだ後、卒業後はコンサルティング会社にて、まちづくりや環境学習などに従事。2004年、30代で乳がん罹患後は、働き盛りで罹患した自らのがん経験や社会経験を活かし、小児がん経験者を含めた患者・家族の支援活動を開始、現在に至る。社会福祉士、技術士(建設部門)、産業カウンセラー。