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 スカッと抜ける青空に、照り返す木々の緑。そこに黒く輝きながら優雅に舞うアゲハチョウ。網を手に追いかけた興奮を覚えている方も多いでしょう。大人になっても採集を続ける昆虫愛好家には研究者級の人も多く、レッドデータブックの作成でも活躍しています。一方で、採集には希少種を脅かす自然破壊だとの批判も。昆虫採集、どうあるべきでしょう?

アマも自然研究に貢献

 「こんな姿の虫が存在するなんて。とにかく驚きでした」

 1980年春、東京都町田市のお寺で見た虫を吉田篤人さん(54)は忘れられません。市内の高校に進学し、入った生物部の採集会。顧問の先生が長さ数メートルもある捕虫網で、カエデの樹上にたくさん咲いた赤く小さい花からすくい取った虫でした。

 小さな瓶に入れた1センチもない小さな虫。一見するとハチ。でも上半身は……カミキリ?

 その虫、コジマヒゲナガコバネカミキリの異形は、昆虫好きで図鑑の虫だった吉田少年にも想像の範囲の外でした。その衝撃で、本格的な採集と標本作りにのめり込んだそうです。

 都内の会社で働く今も月数回、ときには妻子とも一緒に採集に行きます。主なターゲットは、不思議な形の種が多い甲虫のゾウムシ。「身近な所も含め、この世には思いもかけない姿の昆虫がいる。その驚きこそが喜びで、家族とも一緒に味わいたいんです」

 吉田さんが所属する愛好家団体、神奈川昆虫談話会は昨年、県内でどの昆虫がいつどこで確認されたかの記録を網羅した本を出版しました。吉田さんも担当者の一人として執筆に参加したこの本は1万2千もの種を収録し、プロの学者をもうならせています。

 「面積も少なく、自然環境が飛び抜けて豊かとはいえない神奈川で、1万種を大幅に超えたのはすごい。会員たちの半世紀以上にわたる地道な取り組みの歴史があってこその成果。自然の荒廃が進む現代、何がどう変わったのかを知るためにも、貴重な記録です」と国立科学博物館で昆虫の研究を担当する野村周平グループ長は評価します。「各地に同様の取り組みがある。昆虫採集は日本の自然研究を支える文化です」

 2007年に愛媛県で新種タカネルリクワガタを発見し、発表した横浜市の産婦人科医師、井村有希さん(64)は、独自の技で進化史に迫る愛好家です。得意技は、体から取り出したオスの交尾器による分類。交尾器先端にある袋を空気で風船のように膨らませ、その形で分類します。初めてクワガタに応用し、近縁種と混同されていたこの種を見つけました。「メスに精子を渡す大事な部分なので、種ごとの特徴が現れても不思議じゃないですよね」

 光沢があるルリクワガタの仲間はよく似ていて区別が困難です。井村さんの技は大学の研究者にも広まり今世紀、国産ルリクワガタの種数が10種に倍増する原動力になりました。

 ルリクワガタなど北方系の種は、氷河期は平地にすめても、暖かくなると山に追われます。ならば高い山ほど高温が苦手な種が長く閉じ込められ、独自に進化しているはず。

 そんな推理で西日本の最高峰、愛媛県の石鎚山(1982メートル)に狙いを定め、発見したのがタカネルリでした。採集して横浜にとんぼ返りした休日の夜、交尾器の形状を確認し、狙い通りの結果に思わず声を上げたそうです。石鎚山では後に、同じ手法で新種のオサムシも見つけました。

 「あの山には独特の進化がある。掘れば掘るだけ、自然の奥深さを実感できるのは大きな喜び。そこに、アマチュアもたどり着けるのが昆虫採集の良さだと思います」

減った理由は開発?乱獲?

 1983年、沖縄本島北部の山原(やんばる)と呼ばれる森林地帯で発見された国内最大の甲虫、ヤンバルテナガコガネでも、見つかった雌雄のうち雌は愛好家が採集したものです。

 保護のため、85年までに県と国はヤンバルテナガコガネを天然記念物に指定し、採集禁止に。今度は「マニアや業者の密猟ではや絶滅の危機」などの報道が相次ぎ、愛好家に批判が向くようになりました。

 でも本当にそうなのか。専門誌「月刊むし」編集長の藤田宏さん(66)は2007年、発見に関わった一人として、誌上で反論しました。

 禁を破って採集する愛好家や業者はいてもわずかで、減少の元凶は森林伐採や林道造成などの開発だと主張。開発で希少種が減る責任を「虫屋(愛好家)になすりつける図式は昔からあったが、あまりにも極端だ」と訴えました。

 確かに発見以降、生息適地の多い谷筋には複数の大型ダムが完成。林道も2倍に延びました。

 保護に携わる荒谷邦雄・九州大教授(甲虫学)は「減少の最大要因は開発。発見時にあった生息に適した巨木の大半は失われました」と語ります。11年に完成した県内第2の大型ダム建設時には、伐採された木の置き場で、実際にヤンバルテナガコガネが発生していた大木が確認できたそうです。

 そして「森林関係者も今、保護に協力してくれていますが、すでに環境は悪化しすぎた。密猟らしい跡は常にあり、今後は致命的になる恐れがある」と指摘します。

 実際、生息環境が悪化した希少種に採集が最後の一撃を与えたとみられる例はあります。

 長野県東御市では00年ごろ、オオルリシジミという草原性のチョウが全く見られなくなりました。その後、飼われていたチョウが放され復活しましたが、「市内では一度絶滅した可能性はあると思います」と保護活動をしている花岡敏道さん(62)は話します。姿を消す直前も採集は許されており、1匹を数人の愛好家が争って追うような状況だったそうです。

 オオルリシジミは本州と九州に生息。かつて本州では青森県から長野県まで分布しましたが今、生息が確実なのは長野県の数カ所だけ。かつて虫よけ用に植えられた幼虫が食べる草がなくなり、農耕用の牛馬が消えて生息に適した草地も減少。残ったわずかな生息地に採集者が集中した、と中村寛志・信州大名誉教授(昆虫生態学)は構図を説明します。同様の原因が疑われる局所的な絶滅は、県内のアサマシジミやゴマシジミなど、他の草原性のチョウにもあるそうです。

 「人間生活の変化や開発で追い詰められる種は増えた。採集が全否定されるべきではないが、どんな種にも負荷をかけない採り方を真剣に考えるべき時代です」

逆風経て、調査の担い手不足

 日本では19世紀末から昆虫専門誌があり、世界で最も昆虫採集が盛んな国の一つとされます。ですが20世紀の後期に転機を迎えました。

 「『採集を大いにやりましょう』には賛成できない」「地球上の生物層は以前と比べられないぐらい貧弱」。1991~92年、日本自然保護協会の会報誌上であった昆虫採集の是非を巡る論争には、厳しい言葉が並びました。愛好家団体は「採集否定・観察至上主義」が教育現場にも広がり、夏休みの昆虫採集までが禁止され、子供が自然に親しむ機会が奪われる例があるなどと訴えています。

 当時、この会報を編集した志村智子・自然保護部長は「理科教育でも採集が重視されなくなり、否定的な見方が強まった時代でした」と振り返ります。

 志村さんによると背景は二つ。ひとつは日本自然保護協会が70年代以降に自然観察を広めた際、欧米発のバードウォッチングの影響をうけた「採らずに見る」の合言葉が自然好きな人々に浸透したこと。そして自然が荒れ、昆虫採集が一部の種に及ぼす影響が見え始めたこと。「自然保護関係者でも『採集は悪い』と考える方はいました。本来、その影響の多寡や目的で、個々に判断すべきものですが」

愛好家は高齢化

 こんな時代を経て若い昆虫愛好家は減り、現在は各地で愛好家全体が高齢化しました。そして今、公的機関が出すレッドデータブックの質の劣化が心配されています。

 「調査する私たち自身が絶滅危惧なんですから」と山梨県の甲州昆虫同好会長の渡辺通人さん(66)は嘆きます。県は昨年、13年ぶりにレッドデータブックを更新し、渡辺さんも作成の副委員長を県に委嘱され、同好会の仲間らと調査を行いました。

 更新に向けた昆虫調査は3年間。少しの季節の変化でも発生する昆虫は変わるので、月に数回通うべき場所も多く、高山帯まで網羅するのは重労働です。調査に参加した15人中14人がプロではない愛好家で、かつ11人が60代以上。「頑張ってもらいましたが空白地帯も出してしまい、完全な調査とは言えません。10年後は山登りできる人もほとんどおらず、かなり精度は落ちるでしょう」

 2025年ごろに全面改訂を予定する環境省版レッドデータブックも同様です。すでに改訂に向け、全国のトンボ調査の準備を始めた日本トンボ学会副会長の苅部治紀・神奈川県立生命の星・地球博物館主任学芸員によると、調査できる現地の学会員がそろわない空白県ができる恐れがあるそうです。

 「学会に参加するほど高レベルな愛好家が、自然の現状を探ってくれる時代は終わりつつある。業者に任せれば多大な費用がかかるはず。調査の今後は、大きな課題です」

SNS投稿し、愛でる若者

 柔らかな緑に包まれた山中の畑からうっすらと白い影が飛び出すと、網を持った子供が疾走します。

 「あ、ウスバシロチョウだ。採る! 採る!」。5月上旬、神奈川県相模原市での採集会。東京の小学4年生、瀬沼昊太朗くん(10)は参加3年目の常連で、自宅で標本もつくる本格派です。父親の忠紀さん(50)も「ここまで興味を持つとはと驚き、喜んでいます。私だけではこんな機会は与えられませんでした」と満足そうでした。

 この採集会や標本教室を随時、開いているNPO日本アンリ・ファーブル会の理事長、奥本大三郎さん(75)はファーブル昆虫記を完訳した仏文学者で大の昆虫愛好家。「子どもは基本的に虫好きです。虫嫌いな大人が増え、身近な自然が消えるなど、興味を伸ばす環境に恵まれない子に良い機会を提供したい」と話します。

 実際、大人の愛好家は減っても昆虫人気は根強いようです。俳優、香川照之さん扮する「カマキリ先生」が昆虫の魅力を伝えるNHKの番組「昆虫すごいぜ!」は大人気。番組にはほぼ毎日、小学生らから手紙が届き、過去10本の番組は計約40回再放送したそうです。

 小学館は6月、子ども向けの図鑑NEOシリーズで世界の昆虫を扱った新刊を刊行。昆虫はシリーズ2冊目で、北川吉隆編集長は「2冊目が出せたジャンルは昆虫だけ。手堅い一番人気です」と話します。

 最近はSNSが広げる虫好きの輪もあります。「虫は好きだけど何をすればいいか分からなかった。そんな人がSNSでつながり、新しい趣味の世界をつくっています」と、相模原市で昆虫雑貨や標本を扱う「うみねこ博物堂」店主、小野広樹さん(37)は話します。20代など若い人が多く女性も目立つ新たな昆虫好きの傾向は、珍虫探しよりも、身近な昆虫の姿形やしぐさを愛(め)でて、写真のSNS投稿を楽しむスタイル。昆虫グッズも好きな人たちです。

 小野さんの店もそうした層向けで、昆虫をデザインしたアクセサリーや手ぬぐい、書物や採集道具をおいています。そんな虫好きの趣味が高じて、そこから昆虫採集を始める人もいるそうです。

 「昆虫の楽しさは姿形や生活の底知れぬ多様さ。身近なのに、地球が育てた高度な命は人間以外にも多いと教えてくれます。そこに興味を持つ人が増えるのはうれしい」と、丸山宗利・九州大准教授(分類学)は語ります。丸山さんはアリの巣にすむ昆虫研究の傍ら、著書やツイッターで昆虫の魅力を発信しています。

 ネット世代の愛好家の関心は、チョウやカミキリなど人気グループにあまり集中せず、地味でも自分が気に入ったグループを追求する人が目立つそうです。「どんな虫にも魅力があると理解が進めば、乱獲も起きづらくなるのでは。虫好きになる人の裾野が広がれば、レッドデータブックの調査に加わるような人たちも再び生まれるかもしれません。新たな昆虫とのつきあい方が持つ可能性に期待しています」

瓶の中のムカデに魅了 国立環境研・坂本佳子研究員

 虫オンチを自認する昆虫学者がいます。採集や標本作りを趣味にした経験がないからですが、観察の情熱は人一倍。国立環境研究所研究員、坂本佳子さん(34)に身近な生物を見つめる喜びを聞きました。

     ◇

 神戸市のはずれ、六甲山のふもとの実家に大学院修了まで住んでいました。家が古い木造で、すごく虫が入ってくるんです。ムカデに何回もかまれ、すごく腫れて痛かったり、かゆくなったり。

 最初は多分、懲らしめたかったんです。小学生の時、布団の下などにいたムカデをインスタントコーヒーの空き瓶に閉じ込めました。気持ち悪いのに目が離せません。チョウを採って瓶に入れました。ムカデは飛びつき、生きたままかじります。チョウは食われながら死ぬ。興奮しました。今思えば「生命」を実感できたからかもしれません。とにかく、図鑑も含めて、生き物をひたすら眺めるのが好きな子供でした。

 当時は勉強に興味がなく、絵が好きだったので高校は美術科に。でも、そこの生物の授業が転機になりました。

 遺伝の仕組みに「生物ってすごくよくできているな」と驚き、研究者が試行錯誤してそれを解明するプロセスにもっと感動したんです。自分もやりたい、と思った気持ちの大元は、ムカデに興奮したのと同じ、生命への好奇心ですね。

 大学以降は研究で昆虫と向き合っていますが、本当に自然はすごいもん造るな、とよく思います。

 例えば在来種のニホンミツバチは、ミツバチヘギイタダニという大きさ2ミリほどの寄生ダニ対策が上手です。このダニが体に付くとダンスして仲間に知らせ、かみ殺してもらいます。しかし最近、セイヨウミツバチに寄生して侵入したとみられる10分の数ミリのアカリンダニにはめっぽう弱く、ニホンミツバチは今、減少の危機にあります。

 私の研究のひとつはこの外来のアカリンダニ対策ですが、実は、セイヨウミツバチでは、アカリンダニはほぼ重症化しません。逆に、セイヨウミツバチはミツバチヘギイタダニには弱く、欧米では実際に、ミツバチヘギイタダニが外来種として猛威をふるっています。

 こんな風に、外来種はしばしば、抵抗のすべを知らない在来生物を危機にさらします。多種多様な生命が同居する自然環境は、安定しているように見えても、実はもろいものである、と痛感させられます。

 自然には、人間には考えつかない造形や仕組みが無数にあります。痛くない注射針が蚊の口の構造から着想されたように、産業に応用できるようなものもあります。芸術を刺激するものだってあるでしょう。多様な自然があってこそ、人はそこからヒントを得て、多様で豊かな暮らしを営んでいける。だからこそそれを守りたい。と、研究しています。

     ◇

 取材中に偶然、アゲハチョウの仲間、ウスバシロチョウに3回出会いました。涼やかに若草の上を滑る半透明の羽。初めて手にして「これが氷河期の生き残りか!」と心の中で叫んだ中学時代の興奮を思い出しました。

 かつて昆虫の愛好家だったためか、自然を鮮烈に感じる時があります。憧れの虫を通じ、目の前の風景に一歩踏み込めた気がするのです。

 10年ほど前、引っ越してきた東京でナガサキアゲハを見た時は何か、背筋が冷える感覚を覚えました。愛用していた1976年発行の図鑑では、本州の分布は中国地方と和歌山県。その後の北上・東進には地球温暖化の影響が疑われています。

 昆虫採集は、自然をより自分事として感じられる趣味だと思います。様々な課題はありますが、多くの人が昆虫を楽しめる社会が末永く続くよう期待しています。(長野剛)

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