細川卓 小林一茂 井手さゆり
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(上)土砂で埋まった川から流れた水が道路に流れていた=2018年7月27日、広島県呉市天応、矢木隆晴撮影(下)崩れた道路はアスファルトできれいに舗装されていた=2019年6月15日、細川卓撮影
14府県で260人以上が犠牲になった西日本豪雨から、7月6日で1年になった。2階まで水が押し寄せた街や、土石流が住民もろとも家を押し流した住宅地、崩れ落ちたミカン畑。岡山県、広島県、愛媛県の被災地を歩き、「あの日」と同じ場所に立った。
広島県呉市は、広島市や東広島市につながる幹線道路が寸断され、一時「陸の孤島」となった。呉市天応地区は住宅地に大量の土砂が流れ込み、約300棟が全半壊。12人が亡くなった。一帯は、町の中心を流れる大屋大川が氾濫(はんらん)し、県道は表面のアスファルトがはがれていた。
現在は、土砂やがれきは撤去され、アスファルトも敷き直されたが、川岸には大型の土囊(どのう)が置かれ、上流では砂防ダムの建設など復旧工事が続く。同市は3月、2024年度の事業完了を目標とする復興計画を決定。建設型の応急仮設住宅そばに災害公営住宅を建設すると明らかにした。(細川卓)
増水で小田川とその支流の堤防が決壊し、多くの民家が浸水した岡山県倉敷市真備町。小田川沿いの堤防下にある下二万(しもにま)地区では、豪雨から1カ月後、水没した家の周りにはうずたかく災害ごみが積まれ、人気(ひとけ)がなくなった夜は、街全体が闇に包まれていた。それから1年近く、少しだが、家々の明かりが戻り始めている。
村山ひとみさん(53)は、高校2年生の次女の「戻りたい」という一言に背中を押され、家をリフォームし、今年3月に再び住み始めた。「後ろばかり見ても仕方ない。みな無事だったことを喜びたい」
ただこうしたケースは多くはない。市によると真備町の人口は、被災前の6月末は2万2797人だったが、今年3月末には2万659人と、2千人あまりも減ったままだ。多くが、近隣の総社市や他の土地に身を寄せているという。(小林一茂)
全国有数のミカンの産地・愛媛県宇和島市吉田町。西日本豪雨では、急傾斜地にあるかんきつ類の園地が多数崩れた。3人が犠牲になった南君(なぎみ)地区の現場では、崩れた山はほぼ当時のまま。被害を受けた家は、更地になっている。同町内を車で走ると、同じように崩れたままの山をあちこちで見かける。
県によると、同市では約3千ヘクタールのかんきつ園地のうち、約5%にあたる165・1ヘクタールが土砂崩れなどの被害に遭った。この1年間は応急的な処置で手いっぱいで、本格的な復旧工事はこれからだという。玉津地区では、大きな被害を受けた園地を中心に、傾斜を緩くしたりする農地の再編復旧の工事に向けて、農家の話し合いが進んでいる。(井手さゆり)
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