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 「やっぱライバルの新田がいないと打てないっす」。三振した湯来南(広島市)の小阪龍也君(1年)が、照れ笑いを浮かべながらベンチに戻ってきた。

 夏の広島大会まで1カ月に迫った6月9日。ただ一つの連合チームの湯来南と福山商(福山市)は、福山市のグラウンドで、英数学館(同)との練習試合に臨んだ。

 福山商の選手は8人。一方、湯来南は2人。その新田翔君(同)は、体調不良で休んでいた。結局、2試合で無安打だった。

 両校は100キロほど離れていて、普段の練習は別々。5月の大型連休に入ってから、ようやく一緒にできた。この日は3回目。約2時間かけて、小山健介監督(38)の車で福山にやってきた。

 湯来南は広島市佐伯区の山の中にある。全校生徒はわずか94人。野球部は2017年から相手を変えながら連合チームを組んできた。だが昨秋、唯一の部員が退部した。

 小阪君は小1の頃、テレビでカープの試合を見て、ソフトボールを始めた。中学の野球部を経て湯来南に。「人数が少ないのは知ってたけど、勝つ喜びをまた味わいたかった」という。そこに現れたのが幼なじみの新田君だった。中学では「帰宅部」。スポーツ経験は体育の授業ぐらい。入部したのは「暇だったから……」。野球への姿勢の違う2人だが、偶然にも左投げ左打ち。不思議にウマも合い、練習に励んできた。

 先に結果を出したのは新田君だった。6月2日の連合チーム初の練習試合で、一、二塁間を抜ける安打を放った。「あいつ、めちゃくちゃうまくなっとる。僕も負けてられん」。小阪君はその日から、夕食後の素振りを日課にした。

 2人の普段の練習場所は校舎裏のグラウンド。毎日1、2時間、ランニングやキャッチボールなどの基礎練習を繰り返す。小山監督は「人数が少ないから、毎日が特訓みたいなもんです」と笑う。

 16年から湯来南の監督を務める。広島市中区の出身で、公立の強豪・高陽東(広島市安佐北区)に進学。横浜隼人(横浜市)や瀬戸内(広島市東区)など、部員数だけで湯来南の全校生徒数を上回るような強豪校でコーチや部長を務めてきた。

 着任当初はショックの連続だった。保護ネットは穴だらけで、グラウンド脇のベンチもさびた椅子の上に薄い屋根を載せただけの質素なもの。「これで、どうやってやっていくんや」とため息が漏れた。

 野球部と言えば、全員丸刈りで、練習では声を張り上げる。監督は絶対……。そう信じていた。でも目の前の部員たちは長髪で、ろくに返事もしない。衝突することもしばしばだった。

 就任から1年が過ぎたある時。「声を出すよう強制されたり、丸刈りにさせられたり。何の意味があるんですか」。生徒から反論され、ハッとした。

 目の前の試合を勝つことに必死だった強豪校時代から一転、山奥の小さな高校で少ない部員と接する中で気がついた。野球の目的は「勝つ」だけではなく、「楽しんで」「成長する」ことにあると。

 1年の頃は「たいぎい」「もう嫌だ」とすぐに音を上げていた部員も、3年になれば大きな声で仲間を励まし、ヒットを打てば大喜びできるようになった。「努力を重ね、成長していく生徒たちに囲まれ、今までにないやりがいを感じた」と話す。

 このチームでの初の公式戦は、大会3日目の第1試合。小阪君は、新田君と二人三脚でやって来たように、福山商の8人とも力を合わせようと考えている。「みんなと一緒に、楽しみきります」