拡大する写真・図版 事故について初めて証言した大竹昭夫さん。右腕のやけどを隠すため、いつも長袖を着る=2019年6月20日午後0時41分、沖縄県与那原町、伊藤和行撮影

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 沖縄県うるま市(旧石川市)の宮森(みやもり)小学校や住宅に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が死亡し、200人以上が負傷した事故から30日で60年がたった。悲惨な事故の被害者や目撃者の多くは口を閉ざし、傷を隠して生きてきた。だが、今も米軍機の事故やトラブルが相次ぐ現実に危機感を抱き、重い口を開く人もいる。30日の慰霊祭では犠牲者の同級生らが事故の記憶の継承を誓った。

 炎に包まれた教室から逃げ出す同級生たち。服が焼けて全身が真っ黒になった女の子が、水道の蛇口に口をつけて水を飲む。火が付き泣き叫ぶ男の子の体に、先生が水を浴びせる――。

 沖縄県与那原町の船舶通信士、大竹昭夫さん(68)は60年間、こんな「悪夢」にうなされ続けてきた。事故の日に目にした光景だ。その度、逃げようとして足をばたつかせ、ベッドから落ちそうになる。「忘れよう忘れようとしても、忘れさせてくれない。鮮明に出てきます」

 事故当時、宮森小学校の2年生だった。午前10時40分ごろ、ミルクだけの給食の時間。当番だった大竹さんが空のやかんを給食室に片付けに行こうと、教室を2、3歩出た時だった。頭上から突然、火の粉が降ってきた。「火事だ」と思い、とっさに別の校舎に避難した。音やにおいの記憶は残っていないが、同級生6人が亡くなった。

 自身は右腕に大やけどを負った…

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