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 1973年夏。福田精一監督(79)率いる福岡県の柳川商(現・柳川)が、作新学院の怪物・江川卓投手を、バントの構えから引いて打つバスター攻撃で苦しめた試合は今も語り継がれている。ややもすれば「策士」として評価されがちだが、選手に口を酸っぱくして言ってきたのは基本動作の徹底。それ以外の細かいことには言及しなかったという。その福田監督が、教え子である末次秀樹さん(61)に一度だけ指導者としての心構えを説いた。

 「『教えない』のが難しい」

 末次さんは現在、強豪真颯館の監督としてベンチに座る。30年ほど前、末次さんは母校の柳川で福田監督のもと、コーチになった。だが、つい指導に熱が入り、「手取り足取り教えている様子を見て、そう言いたかったんでしょう」と、当時を思い返す。

 76年夏、末次さんは4番打者として甲子園の舞台に立ち、8打席連続安打の大会記録を打ち立てた。実は腰を故障して強振できず、当てに行くことに徹した。基本に忠実な練習を課す福田監督の指導を仰いだ末次さんは「だから、基本を応用に生かせるように、自分の頭で考えることに努めた」。甲子園の記録はその結果だと自負する。

 選手時代に体感し、コーチ時代に開眼させてもらったこと。それは、指導者がうるさく口出しせず、選手が力を発揮できる環境をどう作るか――。

 時代とともに、高校野球を取り巻く環境は変わる。末次さんは「選手ファーストの目線で全力でサポートし、いいプレーには『いいね。それを続けよう』と語りかけ、素質をさらに開花させることが大事だ」と、あの日の助言を参考に、進化させようとしている。

 監督として柳川と自由ケ丘で春夏6回の甲子園に出場した末次さん。積み上げてきた経験から、実感を込めて言う。「甲子園のベンチ前のグリーンベルトは、指導者がノック以外では越えてはいけない。それは球場が選手の聖地であることを意味していると思う。試合中は大歓声で監督の声は届かない。だから、日頃の自発的なプレーが生きる」(布田一樹)