今しかない「一瞬」に突き進んで 千葉ロッテ・井口監督

構成・山田知英
[PR]

千葉ロッテマリーンズ井口資仁監督

 千葉ロッテマリーンズにも藤原恭大選手(大阪桐蔭)ら高校をこの春に卒業した選手がいます。藤原選手は1軍ですぐできるぐらいの能力を持っている。北海道日本ハムファイターズ清宮幸太郎選手(早稲田実)も含め、年々高校から入ってくる選手のレベルが上がっています。

 小学校の時から高校で甲子園に行くという目標がありました。国学院久我山では全員がその目標に向けて練習していました。プロもそうですが、全員で同じ思いを持たないと目標は達成できません。野球に対する姿勢が自分の中で一番問われた時でした。

 2年の夏に西東京大会で優勝して、甲子園に出場しました。初戦は徳島・池田でした。延長戦で最後にエラーでばたばたと点を取られてあっという間に終わってしまいました。4点先行されて、追いついたんですが、みんなが浮足立っていました。落ち着く前に終わった苦い記憶です。

 高校時代は、毎日ガンガンノックを受けていましたね。監督に「何を練習するか」と問われたら「守備をやりましょう」と言っていたぐらい。20代の若い監督だったので、捕れるか捕れないかというところで監督と勝負しているような、そういう思いで常にノックを受けていました。

 学校は文武両道で、練習は2時間と短かった。物足りなく、もっとしたいという感じで一日が終わっていました。やらされていては身につかない。何が足りないのか自分で考えてやったのが高校時代でした。

 グラウンド全面での打撃練習は週1回しかできなかった。家に帰って母親の投げるバドミントンの白い小さなシャトルを打つ練習もしました。そういう周囲のサポートで成長できた。自転車通学もトレーニングにしました。帰り道の井の頭公園の坂道を上ったり、ちょっと速度を出したりです。

 さらに小さなころから上手な人をよく見ていましたね。それが勉強だと思っていた。プロ野球だと落合博満さんや秋山幸二さんを参考にしました。どうやったら強く打てるか、どうしたらいいスイングができるか、足の切り返しをどうするかを見ていました。

 3年時は主将を務めましたが、言葉で引っ張っていくタイプではありません。とにかく自分の姿を見せてついて来いっていう感じかな。甲子園に出た時に攻守の中心となったメンバーが残っていました。西東京大会の準々決勝は延長十二回に逆転サヨナラ勝ちしましたが、準決勝で負けてしまいました。自分たちの中では甲子園に行けるという自信があったんですけどね。

 プロは年間に143試合あります。時には負けを受け入れざるを得ないゲームもありますが、高校野球にそういうのはありません。1試合1試合にかけ、負けたら終わりという思いで一致団結してやります。全員が同じ方向を向くのが一番大事です。高校野球に取り組める時間は短く、「一瞬」です。今しかないと思って突き進んでほしい。(構成・山田知英)

     ◇

 いぐち・ただひと 1974年、東京都生まれ、国学院久我山2年の時に夏の甲子園に出場。青山学院大時代は通算で24本の本塁打を放つ。97年に福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)に入団。移籍先の大リーグ・ホワイトソックスの88年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献した。2009年、千葉ロッテマリーンズ入団。13年に史上5人目となる日米通算2千本安打を達成した。18年から同監督。

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません