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 ウェーブのかかった長髪をなびかせ、華やかに戦う姿で人気の棚橋弘至さん(42)。今やプロレス界の「エース」だが、高校時代は、甲子園を夢見る「7番レフトの2番手投手」という野球少年だった。高校3年生にとって最後の夏が来た。自身の経験談を交え、「夏のあと」の話を聞いた。

 高校生活最後の夏は、劇的な幕切れだった。

 「あと1人でコールド勝ちという状況から大逆転されました。プロレスでいうとカウント2・9から相手に立ち上がられたようなものです。しかも僕が最後の打者になって、一塁へヘッドスライディング。ベースを抱えて号泣して、高校野球は終わりました」

 高校時代サイドスローの変化球投手でもあった。野球で後悔していることがあるという。

 「大橋君というすごくいい投手がエースで、僕は2番手でした。でも、公式戦を任せられるような投手になれなかった。最後の試合の逆転された場面は、僕が継投しても抑えられたと思う。ただ、大橋君への信頼はあまりにも厚かった。続投を決めるとき、監督が言ったんです。『大橋でだめなら仕方ない』って。悔しかった。僕がもうちょっと投手として成長していれば、最後は違う展開になったんじゃないかって」

 「でも、その悔しさがエースという存在へのあこがれとなりました。プロレスラーになり、信頼され、トップを走る選手になるという決意を込めて『新日本のエース』を名乗ったから、今の僕があります。優勝校以外、すべての球児が悔しい思いをする夏。悔しさを次の目標へのエネルギーに変えてほしい」

 高3の夏から、目標を切り替えて猛勉強した。

 「プロ野球選手を目指して部活に熱中するあまり、成績はがくっと落ちていた。でも野球部を引退して、プロ野球を取材する新聞記者に、という夢が浮かんだ。大学で社会学やマスコミについて勉強する学部に進む道筋が見えて勉強に集中できました。運動部で一生懸命やってきた人は、体力や集中力もある。部活で頑張ったことを無駄にしないために、夢があるのなら頑張ってみてほしい」

 高校、大学、プロレス界と、それぞれのステージで懸命に取り組んだことが今に生きていると、棚橋さんは思っている。

 「大学に入って、夢はプロレスラーになることに変わった。それでも僕は夢に向かって一生懸命努力する姿勢だけは変えなかった。大学ではトレーニングして体力や筋力がつき、体重も10キロ以上増えた。そうすることで夢に近づいていった。また、勉強にもしっかり取り組んで学力を上げたから、今はクイズ番組にも呼んでもらえるし、本も出せている。全部が自分の財産となって棚橋をつくっている。高校野球がゴールではないんです。球児のみんなにも最後の夏が終わったら、新しい夢を見つけてほしいと思います」(構成・高岡佐也子

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 たなはし・ひろし 1976年生まれ、岐阜県大垣市出身。大垣西高で野球部員。現役合格した立命館大法学部在学中にプロレスラーを志し、99年に新日本プロレスに入った。6月には逆境から復活する力を説く著書「カウント2・9から立ち上がれ」(マガジンハウス)を出版した。