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 全国最多の188チームが参加した愛知大会を制し、春夏通じて初めての甲子園出場を決めた誉(ほまれ)。2006年からチームの指揮をとる矢幡(やわた)真也監督(46)は「町の小さな電器屋さん」だ。監督になったのは、学校の出入り業者として教室の蛍光灯などを届けていたことが縁だった。

 愛知県犬山市出身。美濃加茂(岐阜)のエースとして1990年に夏の甲子園に出場し、大学卒業後は社会人野球で約3年間プレーした。引退後は地元でハローワークに通ったこともあった。工場で働いた後、結婚した妻の実家が営む家電製品販売店を継ぐことになった。

 誉(当時は尾関学園)は犬山市に隣接する小牧市にあり、取引先の一つだった。エアコンを納入したり教室の蛍光灯を配達したりと出入りするうちに、当時の事務局長と親しくなった。ある日、事務局長から頼まれた。「うちで野球を教えてくれ」。犬山南野球部でコーチとして指導する様子を見たという。「自分は勝負にこだわらず、楽しくやりたい方。監督ができるのか」。不安に思いながらも引き受けた。

 就任当時、部員は7人。試合でスライディングした相手チームに内野手が暴言を吐くなど、やんちゃな選手が多かった。周囲からは「猛獣使い」と同情された。部員集めで中学生の野球チームをまわっても、「お前のところに行きたがる子はいない」と相手にされない。ぎりぎりの部員数で出場した秋季大会の地区予選を選手のけがで途中辞退したこともあった。

 「負け」を重ねるうちに、負けず嫌いの心に火がついた。強豪校出身のコーチらの紹介で人脈を広げ、部員が少しずつ増えた。それに伴い、チームは地区予選を突破、県大会で1勝を挙げるなど結果が出始めた。そして、2014年秋に初めて県大会で優勝を飾る。「この喜びのためなら苦労を顧みずにやる価値がある」と実感した。

 朝と夕方の練習の合間にエアコンや冷蔵庫を配達しながら、指導を続けた。この夏、チームは激戦区の愛知大会でノーシードから8勝し、頂点に立った。優勝の瞬間は「こんなにうまくいっていいのか」と信じられない気持ちだったが、今は全国の舞台での勝利を見据える。「ここまで本当に一歩ずつ上がってきた。でも、チームはまだ完成していない。甲子園で一つ勝って完成する」

 とはいえ、エアコンなどが売れる夏は繁忙期。従業員は4人。お客さんから機器の故障の連絡を受けると、すぐに対応に向かう。その際、臨時で貸し出し用の製品も届けるきめ細かいサービスを心がけている。甲子園出場はうれしい半面、しばらく店を空けることになるのが気がかりだ。「ほかの従業員の負担が増えることが心配です」(村上友里)