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 夕暮れ時、町の中心部を走る国道6号は帰宅する廃炉作業員らの車で混み合う。東京電力福島第一原発から30キロ圏内にある福島県広野町。役場近くの高台にあるふたば未来学園から大きなリュックを背負った野球部員6人が笑いながら下りてきた。

 「あー腹減った」

 向かう先は、薄暗い町にピンク色の看板が目立つ「イオン広野店」。コンビニエンスストア3店舗分の広さで、3年前の3月にオープンした当時は「日本一小さなイオン」と呼ばれた。練習の後、買い食いするのが野球部員の日課だ。

 3年の小暮飛竜君は、買い物かごにメロンパンやチョコパン、みたらし団子を次々と入れた。「お前、食べすぎじゃね」と突っ込んだのは、同じく3年の石田宗大君。石田君は「明日の千葉遠征用です。絶対、バスでおなかがすくんで」と言って、パン二つと歯磨き粉を買った。

 買い物の後は、店内の約100席あるイートインスペースで、おやつを食べる。「練習後の『絹ごしプリン』、最高っす」。3年の小関大稀君は笑顔でプリンをほおばった。石田君は「この自由な雰囲気が好きなんです」と言った。

 石田君と小暮君は大熊町で生まれた。自宅も近く、幼稚園からの幼なじみ。小暮君が一足早く地元のチームで野球を始め、小学3年の時に石田君が加わった。原発事故が起きたのは、同じ年度の3月だった。2人とも町外に避難する時、「明日には帰れるから」と、大人に言われたのは覚えている。グラブもユニホームも自宅に置いてきた。

 その後、石田君は埼玉県の親類宅に避難し、4月に大熊町から約100キロ離れた会津若松市のアパートに移った。小暮君とは同じ頃、市内の小学校の仮設校舎で会った。メンバーは3分の1に減ったものの、野球チームも再開。同じ中学に進み、一緒にプレーした。石田君は俊足、小暮君は強肩の野手として活躍し、県内の大会で3位にもなった。

 高校でも野球を続けようと、強豪校への進学も考えた。しかし、厳しい校則や練習が肌に合わないと感じていた。ちょうどその頃、2015年に開校したばかりのふたば未来学園の体験入学に参加した。

 自由な雰囲気の部や校風に引かれた。アスリート育成を教育の一つの柱とし、野球部員は26人と少ないが、週に10コマある体育の授業は部活も兼ね、練習環境も整っていた。「ここなら本気で甲子園を目指せる」。石田君は小暮君に「一緒に行かねえ」と誘った。

 2年前の春、2人は会津若松市で暮らす家族のもとを離れ、ふたば未来学園に入学した。6年ぶりに浜通りに戻ったが、自宅のある大熊町は原発事故により避難指示が続いていた。ただ、太平洋を見て、「海が見えるって、やっぱいいな」と思った。

 広野町の校舎に通う生徒369人のうち4割近くが親元を離れ、町内の寮で共同生活を送る。野球部では部員の半分の13人、特に3年生は9人中8人が寮生だ。朝から晩まで顔を合わせる。

 チーム内で石田君は1番打者として、打線を引っ張り、小暮君はチームのムードメーカー。春の県大会では強豪・福島商を破って初の4強に入った。石田君は「どんな場面でも、飛竜は笑顔。幼稚園から見てきた表情だし、ピンチでも見ると安心する」と話す。

 石田君は卒業後、美容師を目指し専門学校に進み、小暮君は就職を考えている。

 だから、一緒に野球をするのはこの夏が最後かもしれない。「そう考えるとさびしいなあ」。普段はおちゃらけキャラの小暮君がつぶやいた。(小手川太朗)