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 三重県伊賀市教育委員会は2日、成瀬平馬家長屋門(なるせへいまけながやもん)(上野丸之内)の改修工事に伴い旧上野城内の発掘調査をしたところ、室町時代後期(15世紀末~16世紀初めごろ)の土師器(はじき)の小皿が出土したと発表した。内側にすすがついて黒くなっており、灯明皿として使われていたとみられるという。

 長屋門は藤堂藩の奉行だった成瀬平馬が構えた屋敷の門で、江戸時代の上野城内にあったと伝わる。遺構を確認するため1月に2カ所を掘ったところ、約55センチ下の地中から小皿の破片が見つかった。皿は全体の3分の1程度が残っており、厚さ3ミリほどで直径約9・4センチとみられる。皿の中に油を入れて火をつけ、明かりにしていた可能性があるという。

 市教委文化財課によると、周辺には当時、「平楽寺」「薬師寺」という二つの寺があったと伝わる。1581年に織田信長の大軍が伊賀に侵攻した「天正伊賀の乱」で平楽寺は焼けたとされる。翌82年に信長が「本能寺の変」で自害した後、85年から筒井定次による上野城の築城が始まったという。

 ほかに柱の跡なども見つかった。市教委の担当者は「今も平楽寺や薬師寺の場所などが不明の中で、上野城の築城以前の様子がうかがえる貴重な発見だ」と話している。(森直由)