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 東北道の須賀川インターチェンジを出て、車を走らせること約30分。人口約1万5千人の山あいの福島県石川町に着く。長さ600メートルに50店舗ほどが並ぶ商店街を抜けると、学法石川高校の茶色い校舎が見える。さらに急な山道を5分ほど上ると、山を切り開いて作られた野球場がある。

 商店街は、早くに店を閉め、午後8時にもなると、辺りは真っ暗。「なんにもないな」。約374万人が住む横浜市出身の湯本冬馬君(3年)の第一印象だった。ここには、高さ296メートルの超高層ビル「横浜ランドマークタワー」や横浜ベイブリッジはない。

 小学校から野球を始め、中学では強豪クラブチーム「横浜緑ボーイズ」に入った。しかし、ベンチ入りもできなかった。それでも「甲子園に行きたい」という夢があった。

 仲間の多くは関東の強豪校に進んだが、田村市に実家がある母は学法石川を勧めた。見学に行くと、練習環境も整い、「野球に集中できそう」と入学を決めた。でも、「田舎でやっていけるかなって。最初はめっちゃ不安でした」。

 東京や千葉、埼玉など関東を中心に多くの選手が同校には集まる。ベンチ入りメンバー20人のうち、15人が県外出身だ。部員のほとんどが、町内にある二つの寮で共同生活を送る。

 春夏合わせて12回甲子園に出場する私立の有名校だが、1999年の夏を最後に甲子園から遠ざかる。湯本君が入学して2年間も、福島大会で4強に入れず、活気が失われつつあった。

 転機は昨年9月。秋の県大会準々決勝で敗れた後だった。「監督が交代する」と、前監督に告げられ、仙台育英(宮城)を19回、甲子園に導いた佐々木順一朗監督の就任が知らされた。

 「どんなすごい練習するのかな」「きつそう」。就任する11月まで仲間と期待と不安を口にしたが、実際に佐々木監督がグラウンドに立つと、湯本君は驚いた。練習内容はこれまでと変えないという。技術的な指導をすることも少ない。

 ただ一つ、新監督が求めたのは「笑顔」だった。いつも笑顔のディズニーランドのキャストが理想という。しかし、ただ笑えばいい訳ではない。佐々木監督は「野球をやっていると、どうしても自分中心で考えてしまう。相手の立場にたって物事を考えること」と話す。

 練習場に「学法石川ディズニーランド構想」と書かれた横断幕を掲げ、ダッシュを1本走るごとに、選手は笑顔でハイタッチする。控え選手だった湯本君も、グラウンド整備を人一倍丁寧にするようになり、ベンチでも、声を張り上げた。

 冬を越え、選手たちは「笑顔」の力を実感する。春の県大会では12年ぶりに決勝進出。東北大会では2回戦で東北高校(宮城)と対戦した。1点を追う八回、2死二塁で途中出場の湯本君に打席が回ったが、見逃し三振。ベンチに戻ると、仲間が笑顔で迎えてくれた。「オッケーオッケー」「行けるぞ」

 その笑顔に後押しされるようにチームは九回に逆転。試合後、相手チームの主将は「今日は相手ベンチに負けました」と言った。

 この夏、湯本君は背番号「17」をもらった。中学でかなわなかったベンチ入りだ。佐々木監督は「彼はスタメンじゃなくても、どんな練習でも手を抜かない。最後の決め手はそこですよ」と話す。

 「この前の試合、見てたぞ」「甲子園行けよ」。最近、練習着を着て商店街を歩くと、町の人に声を掛けられることが多くなり、笑顔で「頑張ります」と返す。初めは聞き取りづらかった福島弁も、慣れてきた。「意外と神奈川弁と似てるんすよ。『~だべ』とか」