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 「よっしゃあ」。「まだまだっ」。福島大会開幕まで1カ月を切った6月、福島市の中心部に近い福島商のグラウンドに野球部員たちの大きな声が響いていた。本塁付近から南西方向のセンターに向け約100メートル、全力でダッシュを20本繰り返す。大会直前に体を絞り込む、毎年恒例の練習だ。

 「最高の友と 最高の舞台へ」。センター後方の室内練習場の外壁には、標語が書かれた幅3メートルほどの看板が掲げられている。飯舘村出身の投手、大内良真君(3年)も看板を目掛け、息を切らしながら走り込む。その先、約560キロには憧れの甲子園がある。

 昨夏の県大会決勝で、聖光学院に2対15で敗れ、大会12連覇を許した。大内君は先発したが、5回を投げ6失点。「単純に自分の実力不足。先輩の夏を終わらせてしまった」

 7人きょうだいの5番目。飯舘村で育ち、幼稚園の時に成長する野球少年の姿を描いたアニメ「メジャー」を見て、ボールを手にした。地元の少年野球チームでは、小学1年から背番号「5」をつけ、6年生と一緒に試合に出た。

 東日本大震災が起きたのは小学3年の3月だった。原発事故により、村には避難指示が出て、家族全員で栃木県鹿沼市の体育館に避難した。5月には福島市の公務員宿舎に移り、川俣町の仮設校舎で再開した村の小学校にバスで通った。外遊びは制限され、1年間、野球から離れた。

 中学は福島市の仮設校舎で授業を行う飯舘中に進学した。野球に自信があり、硬式野球クラブ「福島リトルシニア」に入ったが、周りのレベルの高さに驚いた。「自分よりうまいやつがいるんだ」。聖光学院に進んだ三原力亜君(3年)が当時のエースで、大内君は3番手だった。「力亜には何やっても、勝てるイメージがなかった。初めて挫折しました」

 福島大会を連覇中の聖光学院と対戦したく、監督の出身だった公立の福島商を受験。仲が良かった同じチームの高橋尚也君(3年)も「一緒に福商に行こう」と誘った。

 気持ちを前面に出したプレーが、大内君の特長だ。「しゃあっ」。ピンチを切り抜ければ大きくほえ、安打を放てば塁上でベンチに向かってガッツポーズ。だが、中学時代からそばで見てきた高橋君は「相手チームのヤジとかにすぐ熱くなって自滅する。欠点でもあったんです」と話す。

 新チームになって、大内君は背番号「1」を背負い、高橋君は主将で4番になった。秋の県大会準決勝では、聖光学院相手に5対9で敗れたが、夏よりは点差が縮まった。「今年はいけるぞ」。そんな雰囲気がチームを覆った。

 しかし2月、大内君は投球練習中に「グキッ」と腰に痛みを感じた。「腰椎(ようつい)分離症」と診断され、3カ月間投球が出来なかった。その間は鏡の前で練習を繰り返した。フォームを見直し、球をリリースするポイントを前にした。牽制(けんせい)球の足の使い方を練習したり、新しい変化球も覚えたりした。「自分を見つめ直すきっかけになりました」

 飯舘村は2017年3月、一部を除き避難指示が解除され、復興に向けて動き出している。つらい記憶だが、震災があったからこそ、いま野球を続ける自分がいるとも思う。「避難先で新しい仲間に出会えた。俺が甲子園で活躍して、いいイメージの『飯舘』を広げたいんです」

 5月、最後の夏に向けグラブを新調した。オレンジ色のグラブの内側に、黄色と青色の糸で刺繡(ししゅう)を入れた。「怪物の称号は俺が貰(もら)う 大内良真」。00年から遠ざかっている甲子園出場に、「怪物」の投球は欠かせない。