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 高校野球の京都大会で流れる名物曲がある。シンガー・ソングライターの佐々木清次(せいじ)さん(55)=京都市南区=が作詞作曲した「負けてたまるか」だ。球場で使われ始めて10年。高校球児だった経験を振り返り、曲に込めた思いを聞いた。

 この曲ができたのは31歳のとき。デビューから3年後、所属先のレコード会社から契約を打ち切られた日に、6畳一間の家でつくった。「必ずはい上がってやる」。くじけそうな自分を奮い立たす歌だった。

 さびの部分は「負けてたまるか 負けてなるかよ 夢まであと少し」だ。

 自らは1980年から平安(下京区、現・龍谷大平安)で野球漬けの高校時代を過ごした。3年間、控え投手。82年の京都大会では背番号10をもらった。初戦の前日、急性胃炎になって1週間入院。ベンチ入りはかなわず、チームは準決勝で宇治(宇治市、現・立命館宇治)に敗れた。

 「あんなに一生懸命やってきたのに」。もう野球のことは忘れたい。社会人野球の誘いもあったが、断った。上京して歌手になった。

 2000年に久しぶりに母校を訪れ、OB会に参加した。このとき歌ったのが「負けてたまるか」だった。原田英彦監督(59)が歌にほれ込み、宣伝し、チームの応援歌にも使うようになった。

 09年の京都大会から、わかさスタジアム京都(右京区)で五回終了後のグラウンド整備中に流れるようになった。ときどき球場に来て流れているのを聴く。「ぼくの曲を聴いて球児ががんばっていると思うと、胸が熱くなる」

 10年の節目に、佐々木さんは「だいぶ球児に浸透したね」と笑う。ライブで歌うと、京都大会に挑んだかつての球児たちに、「ぼくは3年間この曲に助けられた」と言われたことも少なくないという。

 「ぼくは最後の大会に出られなくて、甲子園の夢もかなわなかった。101回大会に挑む球児には、負けてたまるかという思いで最後まであきらめず、夢をかなえてほしい」。自分の歌でそんな思いになってくれたらと願っている。(山崎琢也)

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 ささき・せいじ 京都市南区出身。平安高校を卒業後、松山千春さんに憧れ、1993年に歌手デビュー。95年にやしきたかじんさんに弟子入りした。2001年に独立し、京都を中心にライブやラジオ番組で活躍。17年にデビュー25周年の記念アルバム「がんばってます」を発売した。