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 高校野球の魅力は、グラウンド以外にもあふれています。試合を盛り上げるスタンドの応援団、ベンチ入りできなかった球児たち。そんな彼ら彼女らに会いに、球場へ足を運んでみませんか。

 「われら嬬恋高校は 浅間の麓(ふもと)にそそりたつ 湧き出す力と根性玉 今こそ戦(いくさ)へ 勝利あれ~」

 特産品のキャベツを持ち上げ、球場に大声を響かせる嬬恋の「玉菜音頭」。嬬恋のシンボルにもなっているこの応援の歴史は約30年前にさかのぼる。

 嬬恋の野球部は平成元年、1989年の春に誕生した。かつては軟式野球部しかなく、甲子園を目指す中学生は前橋や高崎の高校に流出していた。群馬大会への参加校も年々増えていた時代。野球部による地域活性化と、生徒の定員割れ解消策の一環だった。

 群馬大会に初出場したのは90年。組織的な応援団はなかった。当時、吹奏楽部の顧問をしていた角田和義さん(62)に「なんとか来年はスタンドで応援してもらえないか」という声が届いた。ただ、吹奏楽部の部員は6、7人。応援のノウハウもなかった。

 翌91年4月、一人の生徒が嬬恋に入学する。草津町出身の上坂国由(くによし)さん(45)だ。バレーボール選手として前橋の高校へ進学したが、病気でプレーを断念。地元に近い嬬恋に1年生として入り直した。周りから後れを取っている感じがして、学校に足が向かないことも多かったという。

 「打ち込めることが何もなかった」という上坂さんだったが、ふと応援団がないことに気づき、「プレーではなく、応援もおもしろいかも」と思った。入学時から頼りにした角田さんに相談すると、「じゃあ、一緒にやるか」。まずは応援歌作り。上坂さんが詞を、角田さんが曲を書いた。「覚えやすい点を第一に考えた。ゼロから作っていくのはおもしろかった」と角田さん。現在歌われているのは1番のみだが、当時は3番まで存在した。

 大根を掲げて踊る応援歌「青山ほとり」がスタンドの風物詩だった東農大二のスタイルを参考に、両手にキャベツを持って応援する振り付けも考えた。地元特産品のキャベツを「玉菜」と呼ぶことから、応援歌は「玉菜音頭」と名付けた。

 団長になった上坂さんは20~30人の団員を集めた。放課後などには河川敷で応援練習。上坂さんは3年間、応援団長として野球部の応援に足を運んだ。「応援があったからこそ学校に仲間ができた」と話す。

 うわさを聞きつけた農家の人たちがキャベツの提供を申し出るように。声援に後押しされるようにチームも急成長した。95年、群馬大会で4強入りを果たし、地元を湧かせた。応援の伝統はいまも引き継がれ、今年は在校生約40人が有志の応援団を結成した。

 今年3月末で教職を離れた角田さん。「玉菜音頭がこんなに長く使われるとは。いよいよ夏が来るって感じですね。懐かしいな」(森岡航平)