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 昨年7月7日の朝4時。屋根に打ち付ける激しい雨音で目が覚めた。2階の自室から窓の外を見ると、近くの沼田(ぬた)川があふれ、一面が茶色い水で覆われていた。

 広島県三原市本郷町船木に住む総合技術の松岡慶将(けいしょう)君(3年)は、とっさに玄関に駆け下り、グラブをつかんで戻った。高校入学のお祝いに母が贈ってくれた「宝物」だった。

 選抜大会(2011年)に出場したこともある強豪校。ちょうどこの日は、夏の広島大会の開幕日だった。「船木がやばい」。野球部員たちとの連絡用のラインに、水没した近所の写真とメッセージを送った。

 その間にも、水かさは上がり続ける。近くの高台にある祖父母宅へ避難しようと玄関のドアを開けた途端、水が流れ込んできた。太ももあたりまでの水をかきわけて高台を目指した。

 翌日、水が引いたのを確認して自宅に戻った。床も畳も泥まみれ。下水の混ざったような悪臭が鼻を突く中、片付けを始めた。

 延期された大会の開幕が迫っていた。母と妹の3人暮らしで、力仕事が必要だ。「自分だけ野球をしていていいんだろうか……」。悩んでいた時だった。「俺らも手伝うよ」。チームメートの伊地知莞太(かんた)君(3年)ら2人が訪ねてきた。小学校時代からの幼なじみで、ラインの写真を見たという。壊れた冷蔵庫や洗濯機、汚れた畳などを一緒に運び出してくれた。

 「一緒に戦おうや」。銭湯の湯船につかりながら伊地知君が言った。母も「慶将が野球で頑張る姿を見たい」と背中を押してくれた。

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 同じ頃。マネジャーの有森遥香さん(同)はチームの仲間たちと部室の片付けをしていた。選手とマネジャー全員で折った千羽鶴は水浸しに。道具の多くも泥水で汚れていた。

 「もう、今年は無理かな。でも、みんなが笑って野球をする姿が見たい」。被害の大きかった同市本郷町内で友人とボランティアをしながら、帰り道に部室に寄って、泥のかき出しなどの片付けを少しずつ進めた。折り鶴を干し、スパイクや捕手用の防具などは、一つひとつ何度も手で洗った。ボールはトイレットペーパーにくるんで水気を取ったが、大半が使い物にならなかった。そこへ、練習試合をしたことのある大阪の高校からボールが10ダース届いた。「また一緒に野球しましょう」などの言葉が添えられていた。

 練習が再開できたのは豪雨から5日後。地元・如水館の厚意で、合同練習も実現した。

 松岡君は、開幕の2日前になってようやくチームに合流できた。初戦で敗退はしたものの、「たくさんの仲間や家族のお陰で野球ができるんだな」。その幸せをかみしめた。

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 新チームが発足し、副主将に選ばれた。指名した赤松智樹監督(33)は「豪雨を経て、さらに気配りと感謝ができるように成長しましたからね」。

 補修工事のため、グラウンドは昨年12月まで使えなかった。校舎との間に、鉄パイプとタイヤを組み合わせた手作りの打撃練習器具を並べ、打ち込んだ。工業系高校ならではの発想だった。

 今のチームになってから、秋も春も県大会ではまだ1勝もできていない。でも、力を合わせて豪雨を乗り越えたチームだ。松岡君には、どこよりも固い絆で結ばれている自信がある。「一つでも多く勝って、支えてくれた人たちへの恩返しをしたい」