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 フィリピンでかつて独裁をしいた故マルコス元大統領の妻イメルダ氏の誕生会で、約260人にのぼる集団食中毒が起きました。騒ぎとともに、驚かされたのは、過去のふるまいへの批判も根強い夫人の90歳の誕生会に約2500人が集まっていたという事実です。約30年前の民衆蜂起で米国に亡命し、夫とともに権力の座から滑り落ちたはずでは。衰え知れぬ権勢ぶりの背景には何があるのか。元朝日新聞マニラ支局長で、本人に2回のロングインタビューの経験もある柴田直治(しばたなおじ)・近畿大学国際学部教授(東南アジア政治)に聞きました。

――イメルダ夫人ってそもそもどんな人ですか。

 一言でいえば、独裁者の女房ですね。ミス・マニラに選ばれ、1954年に当時の同国の最年少の下院議員だったフェルディナンド・マルコス氏にみそめられて結婚しました。当時から飛び抜けた行動力を示すエピソードには事欠きません。例えばミス・マニラも、最初は落選だったのが不満で、市長に直談判して結果を変えさせたと語り継がれています。

――大統領の妻として、どのような役割を果たしたんですか。

 1965年にマルコス氏が大統領選に出馬した際も、遊説について回り、目立つ存在でした。今でいえば、トランプ米大統領の妻メラニア氏や娘のイバンカ氏のような存在感があり、当選に大きく影響したとされています。大統領のファーストレディーになっても、世界中を飛び回ってみずから外交を担っていて、マルコス氏の右腕であり、マルコス氏の「最強の武器」とも評された。私が1996年に、インタビューで当時下院議員だった彼女の議員控室にいくと、昭和天皇、中国の毛沢東、米国のロバート・ケネディ、リビアのカダフィら、世界各国の元首との記念写真がずらりと飾られていた。首都圏の開発を担うマニラ首都圏知事(初代)、環境住居大臣などを兼職し、田中角栄のような利益誘導型の政治を推し進めました。当時イメルダ氏の指示でマニラ湾沿いに造られた国際会議場や文化センターなどの大型施設がいまも残っています。これが彼女の功績の「光」の部分ですね。

――では「闇」の部分は? インターネットでイメルダ氏を検索すると、靴のコレクションのエピソードがたくさん出てきますが。

 80年代、腎臓の病気でマルコ…

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