[PR]

 西日本豪雨から1年。あの日、大切な家族が土石流や濁流にのまれた。のこされた家族は、懸命に前を向こうとしている。

 広島県坂町小屋浦4丁目で、高下(こうげ)幸子(さちこ)さん(当時49)が行方不明になって1年。「みんなで来たよ」。6日午前8時、夫(55)が2人の子どもと自宅跡を訪れ、静かに手を合わせた。そばでは、近所の人たちが幸子さんをしのんで植えてくれたマリーゴールドやヒマワリが揺れる。

 「笑顔でいる時間が長い人」だった。職場で出会い、何げないことでも笑う素朴さが好きになった。週末はよく2人でドライブに出かけ、助手席から八重歯をのぞかせ愛くるしい笑顔を向けてくれた。長女(23)と長男(20)が大人になってからも、2人をひざ枕で耳かきしてあげる、そんな優しい母親でもあった。

 自宅は小屋浦地区を流れる天地川のすぐ脇にあった。あの日、在宅しているはずの幸子さんを案じ、昼過ぎに広島市の勤務先から電話をかけた。「早めに避難してね」

 午後8時ごろ、幸子さんは勝手口を出たところで、押し寄せた黒い土石流に流された。長女と15メートルほど離れた高台の親族宅に避難しようとしていたという。

 豪雨後、土砂の山に打ち上げられて助かった長女と、全壊した自宅の整理に追われた。白地のパーカが出てきた。結婚前、宮島でデートをした時に幸子さんが着ていたものだ。誕生日に贈ってくれたセーターもあった。「もったいなくてほとんど着られなかったな」。一つひとつに思い出が詰まっていた。「人生を楽しくしてくれたね」。長女に隠れて泣いた。

 妻の携帯電話の解約、四十九日、除籍――。生きていた証しが少なくなる中、届かないとわかっていながら、妻のSNSにメッセージを送り始めた。「どこにかくれんぼしてるの?」「家族皆で正月を迎えたかったよ」「誕生日おめでとう」「つらいよ」「むなしい」「あなたが好きだった」……。

 小屋浦を離れ、近隣の町で子どもと親族計4人で暮らす。日常のちょっとしたことで家族とぶつかるたびに、妻の笑顔を思い出す。

 まだ区切りがつけられない思いと、取り残される焦り。6日、小屋浦で開かれた犠牲者追悼式には、ずいぶん悩んだ末に参列した。

 1年を振り返れば、支えてくれる多くの人がいた。捜索してくれた警察や自衛隊、励ましてくれた友人。そして妻。助けられなかった自責の念も尽きないが、「もうええけ」と妻が背中を押してくれないかとも思う。「人生がまだある。前を向かんと」(岩田恵実)

■母の野菜カレーが好き…

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら