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 焼け野原に、外壁だけ残った講堂がぽつんと立つ。1945年8月6日。爆心地から2・2キロの楠木町(現・広島市西区)にあり、原爆で大きな被害を受けた。白黒の1枚の写真があの日を伝える。

 「崇徳学園百二十年史」によると、生徒と教職員計522人が犠牲になった。多くは爆心地周辺で建物疎開の作業にあたっていた。正門のそばにある「崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔」の、花が途絶えることはない。

 校舎を再建し、現在地で授業が再開されたのは46年。翌47年には、硬式野球部が産声を上げた。食糧も物資も満足にない中で練習に励み、14年後の61年夏、初めて甲子園へ。いきなり8強入りした。当時の朝日新聞は、武生(福井)戦での初勝利を「遊ゴロで間一髪生還 崇徳がネバリ勝ち」と大見出しで報じた。

 76年の選抜大会では、甲子園初優勝に輝いた。これまでに春3回、夏2回の甲子園出場を重ねた。

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 浄土真宗の僧侶の養成所として、1875年に創立。以来144年間、男子校として歴史を刻んできた。

 ところが昨年夏、「共学になるのでは」とのうわさが出始めた。野球部でもちょっとした騒ぎに。すでに広工大や瀬戸内、山陽などの野球強豪校は共学に変わっている。県内の男子高校は、崇徳と修道、城北、広島学院だけだ。

 「マジか。気兼ねなく何でも言い合える男子校のノリの良さが好きなのに」

 とりわけショックを受けた一人が、チームきってのムードメーカー竹本大地君(3年)だった。

 毎年、夏と冬にある「クラスマッチ」は、竹本君お気に入りの伝統行事だ。その名の通りクラス対抗で、相撲やドッジボール、綱引きなど5、6種目に全員で参加して勝ち負けを競う。「周りの目を気にせず、何事もがむしゃらに楽しみ尽くせるのが男子校の魅力」と考えてきた。

 秋の県大会を前にして居ても立ってもいられず、こんな応援歌を作った。

 「男子校~♪ 男子校~♪ 共学より男子校♪」

 繰り返し、思いを叫ぶ。ただそれだけの歌詞だが、妙に耳に残る。秋の県大会で初めて披露すると、じわりと広がった。ファンの誰かが動画をSNSにアップすると、たちまち数百の「いいね」が付いた。

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 1993年の選抜を最後に、長らく甲子園からは遠ざかっている。

 学校は市街地にあり、グラウンドはサッカー部やアメフト部などと兼用。ノックや守備練習が満足に出来ない分、バットを振り込む量はどこよりも多い自信がある。今のチームになってから、昨秋と今春の中国大会に連続で出場した。強力打線で、秋は県大会から中国大会までの計8試合で60点、春は計6試合で33点を挙げた。

 来春、一部のコースから段階的に共学になることが正式に決まった。男子校としての最後の夏。「あの応援歌とともに、絶対に甲子園に行く」と竹本君。固いチームワークと力強いバッティングで、頂点を目指す。