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 1945年7月の仙台空襲から10日で74年。当時を語り継ごうと、仙台市青葉区の戦災復興記念館で7日、宮城学院の卒業生3人が体験を語った。「焼夷弾(しょういだん)が夕立のように」「空が真っ赤に染まった」。戦争のない平和な世の中が続くようにと、それぞれがつらい記憶を証言した。

 死者1千人超。「焼夷弾が空から夕立のような音をしてザーザーと降ってきた」と話すのは、45年春に12歳で入学した広瀬喜美子さん(86)。現在の西公園付近にあった自宅の防空壕(ごう)には、焼け出された人たちが逃げ込んできた。「街の方は火が渦巻いていた。米軍のB29爆撃機も見えた」と振り返った。

 垂石洋子さん(83)は「一番町が赤々と燃えていた」と語った。国民学校3年生で、国分町の薬局店の実家から防空頭巾をかぶり、広瀬川を歩いて渡って難を逃れた。「今も世界のどこかで戦争があり、悲惨なのは女性や子供。世界が平和になることを切に願っている」と結んだ。

 「仙台より先に空襲があると覚…

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