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 瀬戸内海に浮かぶ、愛媛県今治市の大三島。愛媛と広島を結ぶしまなみ海道のほぼ真ん中にあるこの島に、県立今治北高校大三島分校はある。1948年に大三島高校として開校し、入学生の減少で2005年度から今治北高校の分校となった。島でただ一つの高校だ。

 6月上旬、海にほど近いグラウンドで、9人の野球部員が白球を追っていた。「いいね、いいね」。実戦形式の守備練習。マウンドに立つ1年生に向かって、主将の金子真人(まなと)君(3年)が声をかける。「ナイスピッチング!」。他の部員たちも次々に声を出す。

 「にぎやかになった」と金子君。この1年、廃部の危機にさらされながら、野球を続けてきた。

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 昨年6月下旬、愛媛大会前のこと。野球部の先田寿志(さきだかずし)監督(56)は、当時2年生だった金子君に尋ねた。「夏が終わったらお前ら2人になる。野球続けるか」

 この年の部員は8人。他の運動部から助っ人を呼び、愛媛大会には出場できる。が、問題は大会後だ。6人いる3年生が引退すれば、残る部員は金子君と、1年生だった亀田知宏君の2人だけになる。野球部は1951年創部。島内に野球部出身者は多く、先田監督も、金子君の父親も、大三島の選手としてプレーした。金子君がやめると言えば、その歴史は途絶えるかもしれない――。

 先田監督の心配をはねのけるように金子君は答えた。「父さんの出た野球部をつぶしたくありません。1年生を待ちます」。人数のことだけで野球をあきらめたくないという金子君の気持ちを聞き、亀田君も野球を続けると決めた。

 先田監督は選手たちに「中学生にアピールできるのは公式戦の場だけだ」と発破をかけた。当時主将だった藤原修平さん(18)も「島の分校でも野球はできるんだぞと中学生に見せよう」と呼びかけ、練習に一層力が入った。

 迎えた昨夏の愛媛大会。チームは大三島時代を含めて16年ぶりに初戦を突破。次戦も勝ち、16強入りを果たす。金子君は2番打者として3試合とも先発、4安打でチームを勢いづけた。

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 3年生が引退し、金子君は主将に。亀田君と2人きりでの練習が始まった。実戦練習はほとんどできず、グラウンドに響くのは2人の声。バックネットに向かってひたすらボールを打った。「さみしかった」と亀田君はこぼす。

 心配した3年生が練習を見に来た。主将を務めた藤原さんもその一人。「2人のおかげで勝ち上がった。自分が力を少しでも貸してあげられたらと思った」。学校近くの製塩工場に就職した今も、コーチとしてほぼ毎日練習に参加する。

 そして4月。新入生が分校にやってきた。野球部に入部した1年生は7人。全員が地元・大三島中学の野球部出身。昨夏の16強入りを見て入部を決めたという1年生ばかりだった。

 9人になり、外野を向いて打撃練習ができるようになった。金子主将は、はにかみながら言う。

 「1年生が入ってくると信じてやってきた。あきらめないでよかった」

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 日本高野連によると、硬式野球部の部員数は昨年度から9317人減って14万3867人(5月末)。5年連続の減少で、調査を始めた1982年以来、減少数は最大。県内でも部員不足に悩む野球部は少なくない。(照井琢見)