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 4年に1度、ラグビーの世界一を争うワールドカップ(W杯)。今年9月にはアジア初開催となる日本大会が国内12都市で行われる。岩手県釜石市は、かつて日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部の拠点だったことから、東北地方で唯一の会場に選ばれた。釜石はなぜ「鉄のまち」になったのか――。市内にある鉄の歴史館では、江戸時代までさかのぼるその源流をたどれる。

 釜石で鉄鉱石が発見されたのは江戸時代中期のこと。その後、盛岡藩士の大島高任(たかとう)がこの地に洋式高炉を築造し、鉄鉱石を原料とした鉄づくりに挑戦。1858年、日本で初めて連続出銑(しゅっせん)に成功した。出銑とは、高炉で溶かした状態の鉄を取り出すこと。周辺には、明治初期までに13基の高炉が築かれた。当時の洋式高炉跡、鉄鉱石の採掘現場が残る「橋野鉄鉱山」は2015年、ユネスコ世界遺産に登録された。

 市世界遺産課長で館長の佐々木育男さん(57)は「近代的な鉄づくりを始めてから160年間、釜石はずっと鉄のまちとして続いています。世界遺産になったときは、まち全体がわきました」と話す。

 館に入ると、まず鉄の歴史を紹介するシアターがある。大画面の横の橋野高炉の原寸大模型が目をひく。高さ14・6メートルの迫力。高炉内に映し出される真っ赤な「炎」の映像も力強い。

 釜石の山間部には潤沢な鉄鉱石とともに、高炉の燃料の木炭となる樹木が豊富にあった。高炉に空気を送るために水車を併設したが、その水源にも恵まれていた。絶好の環境に恵まれながら、釜石の鉄の歴史は波乱も多かった。

 明治政府が官営製鉄所を建設したが、3年で廃業。引き継いだ民間の田中製鉄所も出銑で失敗を繰り返した。太平洋戦争末期の1945年には、米英艦隊の艦砲射撃により壊滅的な打撃を受けた。展示では、繁栄と苦難の歴史を写真などでたどる。

 89年、平成の始まりとともに釜石製鉄所の高炉は全面休止した。いま、地元の人口は最盛期の3分の1近い。ただ、高炉の火が消えても金属との関わりは続く。日本製鉄釜石製鉄所では、自動車のタイヤ補強材であるスチールコード用線材がつくられている。「日本で走っている多くの車で使われている」と佐々木さんは話す。(恵藤公浩)

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 〈鉄の歴史館〉 JR釜石駅からバスで16分、観音入口下車徒歩3分、開館時間は午前9時~午後5時(入館は午後4時まで)。休館日は毎週火曜、年末年始。小中学生150円、高校生300円、一般500円。電話番号は、0193・24・2211。