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 新たに刻む、ぼくらの軌跡――。夏の全国大会で49校(北海道、東京は2代表)が出場する形が定着したのは1978年の第60回大会からだ。深紅の大優勝旗をめざして、北から南から甲子園へ集まる球児たち。、監督として歴代最多の甲子園通算68勝を挙げた高嶋仁さん(73)=智弁和歌山前監督=に甲子園で勝つ秘訣(ひけつ)や難しさなどを聞いた。

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 選手のみんな、甲子園出場おめでとう。

 ここはすごいとこです。選手も指導者も、今までの苦労がすべて報われたと感じるはず。まさに「聖地」やと思います。

 ぼくは開会式の入場行進では、緊張や感動で足の震えが止まらなかった。56年前(1963年)の第45回記念大会。グラウンドに入った瞬間、「必ず指導者になって戻ってこよう」と誓いましたからね。球場の大きさ、お客さんの数、すべてが桁違いなんです。

 運よく、ぼくは夢がかなって監督として夏24回、春14回も甲子園に戻ってこられた。教え子の入場行進を見とると、泣けてきました。「よう頑張ったなあ」「やめんでよかったなあ」。褒めてやりたくなるんです。褒めませんでしたけどね(笑)。

 ここまで来たら、勝った負けたはプラスアルファでしかない。思い切りやったらええ。ただ、気をつけて欲しいことはあります。

 甲子園練習を思い出して欲しい。選手はアドレナリンが出まくっていたでしょう。どうしても力んでしまう。「全力で放るな」「5分、いや2分の力でもええ」。ぼくは選手に話します。

 それから、低いボールを投げること。1人で80メートルも投げる必要はない。カットマンを使い、つなぐことが甲子園ではとくに大事です。守備は捕ることが目標やない。捕ってストライク送球をしてアウトにせんと意味がありません。

 バッティングも力むなと言いたいが、なかなかそうもいかんかな。いっそ、力んだ方がいい時もある。甲子園は広い。けど、ボールはよく飛ぶ。甲子園の何かが、打球を後押ししてくれるんです。思い切り打てばいい。自分でも驚くようなプレーができるようになる。「こんな力のある選手やったかな」「こんな強いチームやったかな」。ベンチで何度驚いたことか。

 選手たちのそういうプレーが積み重なり、夏の大会は昨年、第100回の節目を迎えたんです。今年は第101回大会やから、君らのプレーが新しい世紀の幕開けになる。なにも特別なことをする必要はない。先輩たちに負けんよう、張り切って野球をして欲しい。

 最後に一つだけ。控え選手への感謝だけは忘れたらあかん。「親のため、学校のため、自分のためにプレーする」と言う選手がよくおるけど、それは違うやろ。毎日のバッティング練習で投げてくれたり、ボールを拾ってくれたりした仲間がいたから、甲子園に来ることができた。君らがいいプレーをしたら、彼らも報われるんや。

 それさえ分かっていたら、甲子園がきっと、ええプレーをさせてくれる。思う存分、暴れてください。(聞き手 編集委員・安藤嘉浩

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 〈たかしま・ひとし〉 1946年、長崎県出身。海星(長崎)の外野手として2、3年時に夏の甲子園に出場した。日本体育大を経て72年に智弁学園(奈良)の監督に就任。80年から智弁和歌山の監督となり、両校で甲子園に夏24回、春14回出場し、夏2回、春1回の優勝を果たした。甲子園通算68勝は歴代最多。昨夏の第100回全国選手権大会を最後に勇退し、智弁和歌山の名誉監督に就任した。