ポイントは(1)一国二制度の約束は2047年まで、その後は未定(2)中国との関係は曲折あるが、2014年に深い溝(3)香港市民の不満は逃亡犯条例にとどまらない(4)台湾にも強い影響がある。以下、詳解します。

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 犯罪容疑者の身柄を中国本土へ送ることを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐり、香港で大規模な抗議行動が起きた。規模こそ縮小したが、デモはなお散発的に続き、警察との衝突も常態化している。どんな背景があるのか、徹底的に読み解いた。

■1 中国領土で「本土」じゃないのは、なぜ?

 「一国二制度」の下、中国の領土でありながら中国本土とは違うのが香港。その性格を維持できるかどうかが問われている。そうした独特の空間が形成された歴史をたどってみよう。

 清朝とのアヘン戦争に勝利した英国が1842年の南京条約で香港島を獲得したのが香港開発の始まりだ。当時の島の人口は数千人規模。辺境の漁村だった。さらに英国は、60年に島の対岸の九竜地区の割譲を受け、98年にはその北側の新界地区と周辺の島々を99年間租借した。こうして英領植民地・香港は3段階を経て拡大した。

 英国人らはここに瞬く間に貿易拠点を築いた。世界有数の金融機関として今も知られる香港上海銀行(HSBC)が営業を始めたのが65年。後に軽工業などを手がける華人系企業も発展した。

 第2次大戦中の1941年に日本が占領。45年の戦争終結で英国統治に戻る。49年に毛沢東らが建国した新中国(中華人民共和国)は香港の返還を直ちには求めなかった。中英は50年にいち早く国交を結び、香港は英植民地としての状態が維持された。当時の香港には中国系の銀行や商社もあり、対外開放前だった中国にとっても大事な貿易の窓口だったのだ。

 やがて問題になったのは、99年間の租借という形になっていた新界だ。租借期限の97年以降の帰属がどうなるかわからないため不動産向けの長期融資ができず、経済活動に支障が出てきた。

 英領香港のうち香港島と九竜は…

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