7千メートル級の山がそびえるパキスタン北西部の山岳地帯に、人口4千人弱の少数民族「カラーシャ」の人々が住む秘境の谷がある。文字がないため、そのルーツも謎に包まれているカラーシャは、食材の限られた断崖の村でいったい何を食べて暮らしてきたのか。谷を訪ねてみた。
私がカラーシャのことを聞いたのは、パキスタンに着任した直後の2016年秋のことだった。平地で暮らすパキスタン人とは背格好がまるで異なり、その土地でしか使えない言葉を受け継いでいる。食べ物の種類は限られ、ガスや上下水道も通っていないという。
そこまで聞いただけで、山好きな私の妄想は膨れあがり、冒険心がかき立てられた。そもそも特派員を志したのは、少年期にブラジルのアマゾンで原住民の狩猟生活を目の当たりにし、世界で暮らす様々な人たちに会いたいと思ったのがきっかけの一つだった。
カラーシャの写真集を買い、情報を集めると、さらに驚く発見があった。谷には、約30年前に現地の人と結婚して住み着いた、1人の日本人女性がいるというのだ。佐賀県出身の写真家の和田晶子さん(67)。ペンネーム「わだ晶子」で文筆活動もしている(https://kalashapakistan.jimdo.com/)。どんな経緯で山奥の谷にたどり着き、どうやって暮らしているのか。多くの疑問がわいてきた。
秘境の谷まで1日がかり
現地で謎解きをしたいという思いとは裏腹に、取材のチャンスはなかなか巡ってこなかった。カラーシャの谷に行くには、プロペラ機でふもとの町チトラルに飛んだ後、四輪駆動車で2時間半ほど急な山道を登らなければならない。ところが、取材を前にプロペラ機が墜落事故を起こしたり、土砂崩れが頻発して道がふさがれたりして、取材機会を奪われてきた。それもまた、秘境が秘境たるゆえんなのだと、なかば訪問をあきらめていた。
果報は突然もたらされた。日本に一時帰国する和田さんが、私が暮らす首都イスラマバードの支局に立ち寄ってくれたのだ。「やっと会えましたね」と握手した和田さんは、炭焼きの香りがした。谷では普段、薪をたいて暖をとったり、料理をしたりしているからだった。和田さんが谷に戻る時に、一緒に谷に入ることになった。運航が不安定なプロペラ機には乗らず、全行程を陸路で移動する計画を立てた。
今年4月、日の出前に支局を…