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 第100回という節目を迎えた昨夏の全国高校野球選手権大会。数々のドラマを代表するシーンが2018年8月18日に生まれた。

 準々決勝の第4試合。近江(滋賀)が2―1とリードしたまま迎えた九回裏。粘る金足農(秋田)は無死満塁と攻め、9番打者の斎藤璃玖(りく、18)が三塁手の前にバントを転がす。スクイズバントだ。

 三塁走者が本塁にかえって、まず同点。前進した三塁手が一塁へ送球しようとした時だった。

 「あああああ~~~!」。阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が悲鳴のような驚きの声に包まれた。三塁手のすぐ後ろで、二塁走者の菊地彪吾(ひゅうご、18)が三塁ベースを蹴ろうとしていたからだ。

 グングン加速した菊地は、その勢いのまま本塁ベースに滑り込んだ。「セーフ!」。田中豊久球審(56)の両手が大きく開く。逆転サヨナラ2ランスクイズ――。

 金足農の選手が菊地のもとに駆け寄り、歓喜の輪を作る。近江の選手はその場から動けなかった。

 わずか5秒ほどで、勝者と敗者が入れ替わった劇的なプレー。

 その直後のシーンだった。

 金足農の主将・佐々木大夢(ひろむ、18)は歓喜の輪からすぐ離れ、打者が置いたバットを拾って一塁ベンチ前に片付けた。振り返ると、近江の2年生捕手・有馬諒(18)が、倒れ込んだままでいるのが見えた。

 近江の主将・中尾雄斗(18)は三塁ベンチにいた。「うそやろ」。ベンチを出て有馬のもとへ走ると、佐々木が先に到着していた。

 だから有馬は、金足農の主将と近江の先輩たちに抱え上げられるようにして起き上がった。

 金足農のエース・吉田輝星(こうせい、18)はその様子を目にして、「ああ、普通の負け方じゃないんだな」と感じた。「最後の夏にこんな負け方をした相手に何かできないかな」

 試合で使用したボールは球審から勝利校の主将・佐々木に渡された。そのウィニングボールを吉田はもらい、試合終了のあいさつをした後、近江の4番打者・北村恵吾(18)に差し出した。

 「負けた悔しさは自分もわかるから。記念のボールを持っていたらいい思い出になるかもしれないという気持ちだった」。プロ野球日本ハムに入団した吉田が、その時の思いを教えてくれた。

 北村は固辞したため、主将の中尾に手渡した。佐々木も「もらってよ」とうながした。

 「何ていうか、感謝の気持ちだった。甲子園で一番いい試合をして、相手をたたえたい気持ちが芽生えた。スポーツマンとして、アスリートとして、ごく自然に出た。吉田も同じだったと思います」。日本体育大学に進学した佐々木はそう振り返る。

 近江の中尾は「どういう意味か、はじめはわからなかった」と苦笑する。あいさつをして歩み寄ったとき、吉田は胸元にボンッとボールを押しつけ、「あげる」と言った。

 よくわからないままボールをもらった中尾は、三塁側ベンチに引き揚げる際、「監督が誕生日やからか」と思い至った。近江を率いる多賀章仁は、試合があった8月18日が59歳の誕生日。「勝って監督にウィニングボールをプレゼントしよう」と臨んだ試合だった。

 実は吉田にそこまでの意図はなかったが、中尾はそう解釈した。

 監督の多賀は夏が終わるころ、そんなやりとりがあったと知って感激した。「私は生徒に常々、痛みがわかる人間になって欲しいと話している。負けた側のことを思える選手になりなさい、と。金足農は私が理想とするチームです」

 一方、最後まで全力を尽くした自チームの選手たちのことも、もちろん誇りに思った。主将の中尾は、最後まで笑顔を貫いていた。

 中尾は開会式で「多くの人々に笑顔と感動を与えられる、最も熱い、本気の夏にすることを誓います」と選手宣誓した。2年夏にはエラーをし、最後の夏は正選手でなくなった。それでも「笑顔で野球をしよう」と心に決め、奈良学園大学でもプレーを続けている。

 サヨナラの場面で泣き崩れる2年生捕手の有馬らを、中尾が笑顔でねぎらう様子も、スポーツマンらしいシーンとして高校野球ファンの記憶に刻まれた。=敬称略(編集委員・安藤嘉浩