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 1996年夏、第78回全国高校野球選手権大会の決勝は、「奇跡のバックホーム」として野球ファンに記憶されている。

 3―3の延長十回裏、熊本工は1死満塁から、打者がライトへ大飛球を打った。犠牲フライでサヨナラ勝ちかと思われたが、松山商の右翼手の好返球により、三塁走者が本塁でタッチアウト。直後に3点を勝ち越した松山商が、6―3で5度目の優勝を果たした。

 この夏の甲子園で活躍した選手で編成する、全日本高校選抜チームが参加した世界4地域親善高校野球大会(米カリフォルニア州)で事件は起こった。

 米国戦の五回だったと関係者は記憶する。三塁塁審がものすごい形相で日本ベンチに来て、「二塁走者が打者に捕手のサインを伝えている。すぐにやめさせなさい」と注意してきた。その後も「一塁コーチが捕手の動きを見て何かを叫んでいる」と言われた。

 日本チームを率いていたのは松山商の監督だった沢田勝彦(62)=現・愛媛県立北条高監督。「はじめは何を言われているのかわからなかった」と苦笑する。チームとして何かを決めていたわけでも、指示したわけでもなかった。だが、すぐに選手同士で相談してやっているようだと気がついた。

 「恥ずかしながら、私自身も、何の違和感もなかった。捕手のサインや動きから球種やコースがわかれば、打者に教える。日本では普通にやっていたことだから」

 日本の選手にすれば、外国チームのサインは単純だった。相手に盗み見られることを前提としていないから、とまでは考えが及ばない。当然のように、打者に教えようとする。日本語で言えばわからないだろうと、「外、外」「曲がる」などと叫ぶこともあった。

 野球をスポーツとして発展させた米国では、それは許しがたい行為だった。捕手は相手に知られないよう、サインを使って球種やコースを投手に伝える。それを盗み見て打者に教えるなんて、スポーツマンのすることではない。投手と打者の対決を、カンニングに似た行為で打者有利にしてしまう。「アンフェア」ということになる。

 日本高校野球連盟の事務局長(当時)で日本チームに同行していた田名部和裕(73)は「恥ずかしかった」と振り返る。「日本に野球が伝えられて1世紀以上、私たちはこのスポーツを楽しんできたが、どこかで、その本質を忘れてしまったのではないだろうか」

 同連盟の技術振興委員会で、和歌山県立箕島高元監督の尾藤公(ただし)らに意見を聞いた。「シンプルに、正々堂々と勝負するよう指導していこう」との結論になった。

 2年後の98年12月、日本高野連は、走者やベースコーチが球種などを打者に伝達する行為を禁止することを決めた。あくまでもスポーツマンのマナーとして扱い、罰則は設けなかった。

 ただ、残念ながら、今もサイン伝達が撲滅されたとは言えない。今春の第91回選抜高校野球大会でも審判が紛らわしい行為をしないよう注意した試合が、1回戦と2回戦の計2試合もあった。2回戦では疑惑を指摘した監督が「フェアじゃない」と憤慨し、試合後、相手校の監督に直接抗議して、ちょっとした騒ぎにもなった。=敬称略(編集委員・安藤嘉浩