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 世界文化遺産の日光山輪王寺(栃木県日光市)にある「四天王」の尊像が、江戸時代から200年以上にわたって誤った名前で呼ばれ続けていたことが分かった。

 尊像は輪王寺大猷院(たいゆういん)境内にある国の重要文化財「二天門」にある。武将姿の2体の尊像が両脇に立ち、大猷院が完成した徳川家光公没後の1653(承応2)年ごろに作られたとされる。2体にはこれまで「広目(こうもく)天」と「持国天」と書かれた名札が置かれていた。広目天、持国天は、多聞天、増長天と合わせて「四天王」と呼ばれる。

 2014年から18年にかけ、二天門の修理が半世紀ぶりにあり、尊像についても詳しく調査すると、まさかの間違いが見つかった。

 輪王寺宝物殿の柴田立史(りっし)館長によると、唐招提寺など各地の四天王像の形状や特徴を比較したところ、通常、広目天は筆や巻物を持っているはずなのに、輪王寺の尊像は刀を手にしていた。刀を手にするのは、四天王のうち増長天の特徴。輪王寺は調査結果を踏まえて、尊像を「増長天」に変えることを決めた。

 二天門を修理した際、「広目天」と呼ばれてきた尊像の内側に「廣目」の墨書の書き込みも見つかった。1797年の尊像修理の際に書かれたとみられ、柴田館長は「尊像を修理した際に名前を間違えた可能性が高い。その間違いを200年以上、そのままにしてしまった」と話している。(梶山天)