中国共産党政権が武力で民主化運動を鎮圧した1989年6月の天安門事件当時、首相だった李鵬(リーポン)元首相が事件から30年の節目の年に死去した。党は「全身全霊を人民のために尽くした」と生前の業績を評価したが、国際的には学生らを弾圧した「悪役」のイメージが抜けなかった。

 89年4月、改革派指導者だった胡耀邦氏の死を機に北京で広がった学生らの民主化運動は党や政府に衝撃を与え、対応をめぐり党指導部内でも意見が割れた。趙紫陽総書記(当時)が学生に寄り添う姿勢を見せたのに対し、李氏ら保守派が強硬な措置を講じるべきだと主張。当時の最高実力者だった鄧小平・中央軍事委員会主席らが軍による鎮圧を決断したとされる。

 政府トップとして戒厳令を公布した李氏は、当時の演説で「無政府状態が広がっている。ごく少数の人が社会主義や現在の改革開放路線を攻撃するために意図した」と学生運動を批判。「断固たる措置をとる」として、軍を投入して制圧する方針を示した。

 新華社通信は李氏の追悼記事で当時の対応について「断固とした措置で動乱を止め、反革命暴乱を鎮めた」とし、「党と国の命運が関わる重大な闘争で重要な役割を果たした」と評価した。だが、事件では政府発表だけでも300人以上が犠牲になり、民衆を弾圧した指導者というイメージが消えることはなかった。

 「革命烈士」の父を持つ李氏は…

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