令和へと続くライバル物語 みんな高校野球に戻ってきた

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 高校生最速の球速163キロを計測した大船渡の佐々木朗希から、この夏初めて安打を放ち、得点も挙げたのは盛岡四だった。21日にあった第101回全国高校野球選手権岩手大会の4回戦。

 「はじめは、なんで同じ年齢にこんな投手がいるんだ。県外の強豪校に行ってくれたらよかったのに、と思った」。土壇場の九回に中前へ同点タイムリーを打った盛岡四の横山慶人は苦笑する。対戦に向けて、打撃練習用マシンを170キロに設定して、ふだんから目慣らしをした。「人生で一番楽しい試合だった。朗希君のおかげで、ぼくらも成長できた。感謝したい」

 身近なライバルを意識し、努力した経験はきっと、長い人生の糧になっていく。

 同じチームで競い合った同級生が今年、高校野球の監督として初めての夏を戦った。

 出雲西(島根)の野中徹博監督(54)と、水戸啓明(茨城)の紀藤真琴監督(54)。

 野中さんは世代を代表する投手として活躍し、中京(愛知、現・中京大中京)を1982年に春夏とも甲子園4強、83年夏も8強に導いた。紀藤さんは2番手投手兼外野手ながら、プロ野球では広島などで野中さんより長く活躍した。

 野中監督の夏デビュー戦は6―8の初戦敗退。それでも一時は追いついた選手たちを「成長の証し」とたたえた。「高校野球の監督をしたいという夢がかなった。ぼく自身がもっと勉強し、子どもたちと一緒に成長していきたい」

 紀藤監督は1勝したが、2戦目で0―3と惜敗した。

 実は当時の中京には「第3の男」がいた。のちに社会人野球のNTT東海で頭角を現し、1996年アトランタ五輪で日本の銀メダル獲得に貢献した森昌彦さん(53)だ。こちらは監督として豊川(愛知)を強豪校に育て、現在は中京学院大中京(岐阜)でコーチをしている。

 すでに高校野球指導歴は10年以上。「紀藤から去年秋に電話があった。生徒の進路相談はどう進めたらいいかって」と笑う。自身は高校時代、公式戦でほぼ登板できなかった。「野中がすごかったもん。だけど、ぼくは野球をずっと好きでいた。そしたら、いいこともあるんだよ」と語る。

 「50歳を過ぎて、みんな同じ場所に戻ってきた。いつか対戦できたら楽しいね」。昭和から平成を経て、令和へと続くライバル物語である。(編集委員・安藤嘉浩

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