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 (26日、高校野球西東京大会 国学院久我山3―1東海大菅生)

 目標は西東京大会の2年ぶり優勝ではなかった。

 東海大菅生の先発したエース中村晃太朗(3年)は国学院久我山に敗戦後、唇をかみしめ、継投した新倉寛之(2年)とクールダウンのキャッチボールをした。最後に肩をたたいた。「菅生の歴史を託したぞ」。それは「全国制覇」のことだった。

 1年前の「苦い記憶」を振り払って臨んだ大会だった。昨夏の準決勝・日大三戦に先発しながら、初回に6失点で降板。チームも敗れ、連覇の夢が断たれた。若林弘泰監督の言葉が胸に突き刺さった。

 「お前のせい」

 秋の都大会決勝の国士舘戦でも初回の4失点が響いて惜敗し、今春の選抜大会を逃した。立ち上がりに「自分が抑えないと」との気持ちが強すぎて制球を乱し、カウントを取りにいく球を打たれる。その繰り返しだった。中盤以降は自分らしい投球ができるのに、だ。

 秋以降は、体と心をどう準備するか模索した。試合前の投球練習を倍の50~60球に増やした。「体が慣れた状態で試合に入れるように」。負けた試合の動画を繰り返し見て、1球の重みを頭に染み込ませた。

 その後の春の都大会を制し、関東大会では計20イニングを投げて無失点に抑えられた。安定感を身につけて臨む夏は、チームも第1シードだった。

 この日、1年前とは違い、初回のピンチを自力で切り抜けた。2四死球などで2死二、三塁。捕手のチェンジアップのサインに首を振った。「自分が決めた球で勝負」。135キロの直球を外角に決め、5番打者を空振り三振に仕留めた。

 調子は悪くなかった。だが、「狙い球をひと振りでヒットにする相手の力が上だった」。五回表に連続二塁打で先制を許し、七回表にも2点を失った。

 その裏、味方は適時二塁打で1点を返した。さらに1死一、三塁。ここで代打を送られてベンチに退いた。「本音では最後までマウンドに立ちたかった」

 東海大菅生の「歴史」は2年前の甲子園4強。塗り替える役目は、新倉ら後輩に引き継がれた。(原田悠自)