どん底だった作新学院 監督は言い放った 3年に荒療治
(28日、高校野球栃木大会 作新学院6-2文星芸大付)
作新学院の石井巧主将(3年)は優勝が決まった瞬間、両手を高く突き上げた。応援席にあいさつすると、喜びを爆発させ、小針崇宏監督と抱き合った。
中3の夏、作新学院が全国制覇する瞬間を甲子園のスタンドから見た。「グラウンドの選手が輝いて見えた。あの人たちのようにプレーしたい」
期待を背負って新チームの主将に就いたが、順風ではなかった。秋の県大会決勝で佐野日大、続く関東大会で前橋育英(群馬)にそれぞれ1点差で敗れた。
「自分が打たなければいけない」。石井主将はプレッシャーでがんじがらめになった。打撃陣の不調は春でも変わらず、春の県大会では8強止まりだった。
春の敗北後、3年全員がグラウンドの出入りを禁止された。「野球以前の問題。これからは1、2年だけで戦う」。小針監督は言い放った。
「どん底だった。腐る人もいた。チームがバラバラになっていた」と石井主将。
3年は連日のように話し合いを重ねた。
「俺たち、人任せな部分が多すぎる」。石井主将はそう言った。グラウンド周辺には私物が散らかり、汚れていた。毎日、片付けているうちに「人任せにしてはいけない」という思いが芽生えてきた。
約3週間後、小針監督が3年を呼んだ。「覚悟を持ってグラウンドに入ってこい」
この夏、打力不足の前評判がうそのように、圧倒的な打力で勝ち進んだ。積極的な走塁と連打を重ね、切れ目のない攻撃をしかけるチームに成長。5試合で計53得点をたたき出した。
石井主将は「1人がそれぞれ成長すれば、階段を20段上ることができる」。壁を乗り越え全員でつかみ取った9連覇だった。
全国制覇の後、作新学院は夏の甲子園で勝ち星がない。「どんなときも挑戦者として立ち向かう。甲子園で勝ち続ける。甲子園で校歌を歌います」。そう言い切った表情はこれまでよりも明るく見えた。(平賀拓史)