拡大する写真・図版 ゴルフ練習場が併設されている神宮第二球場=2019年7月17日、東京都新宿区霞ケ丘町、山田知英撮影

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 清宮幸太郎、荒木大輔ら、数々の名選手が高校球児としてプレーした神宮第二球場(東京都新宿区)が最後の夏を終えた――。来夏は東京五輪・パラリンピック関連で使用され、その後、明治神宮外苑地区の再開発で解体されるため、夏の甲子園を目指す高校野球の大会は今年が最後だった。58年の歴史の中では、往年の名選手や次世代を担う高校生らがプレーしてきた。

 1961年に完成した神宮第二は、高校野球の大会を、夏だけでなく、秋や春も催してきた。今夏は27日に閉幕した第101回全国高校野球選手権東東京大会の会場だった。

 神宮第二の建設に向けた動きは59年ごろからだった。東京六大学、東都大学のほかに、大学や高校の野球の試合に対応するのに神宮球場だけでは難しいとの声が高まったからだ。

 これに対して、64年の東京五輪に備えて、予定地に仮設体育館の計画があることなどから反対の声もあったが、神宮球場の保護や五輪への協力を説明し、都などから了解された。球場は61年1月に着工され、約3カ月で完成した。4月に野球場開きがされた。

 73年からは野球の試合がない時にはゴルフ練習場として使うことになり、80年に一塁側の土手スタンドを削り、打席を常設した。

 球場は、両翼91メートル、中堅116メートル、収容観客数は5636人。2階席もあり、観客が多い場合などに開放される。スコアボードのチームや選手名、点数は手書きのものが使われる。

 プロ野球・北海道日本ハムファイターズ2軍監督の荒木大輔さん(55)は早稲田実で1年生の夏に甲子園で好投して準優勝した。「大ちゃん」の愛称でアイドル的な人気を博し、神宮第二にも女性ファンらが詰めかけた。「球場の出口に係員の人が並んでくれて通れるよう道をつくってくれたのを覚えている」

 早稲田実は夏の高校野球はシード校になり、隣の神宮球場が会場だったため、神宮第二は使わなかった。ただ、秋や春の大会では会場となり、荒木さんも投げた。「暑い夏ではなく、少し肌寒い中で投げてた印象が強い。スタンドが近くて、自校と相手の応援がもろに聞こえた」

 1989年に帝京が全国制覇した時のエースで4番だった吉岡雄二さん(48)は神宮第二で本塁打を放った。プロ野球で活躍した後、日本ハムの2軍打撃コーチを務める。

 吉岡さんと帝京でバッテリーを組んだ井村清治(48)は「私たちの時は全面砂のグラウンドで、風が強い日は砂ぼこりが舞い、雨が降ったら試合は中止だった。吉岡の大ホームランや、吉岡の調子が悪く、投手交代をなんとか監督に伝えたかったことなど、思い出は尽きない」と振り返る。

 高校通算111本の本塁打を打った日本ハムの清宮幸太郎選手が早稲田実1年時の2015年4月18日の春季都大会で、関東一戦で放った第1号は、神宮第二だった。(山田知英)